和骨董大辞典

  • TOP
  • 和骨董大辞典

伝統工芸品 南部鉄器

 

岩手県の代表的な伝統工芸品として知られています。江戸時代の頃から鉄瓶や茶の湯釜を多く生産したことで発展していき、日用品の鋳物として親しまれてきました。岩手県内の盛岡市と奥州市で生産されており、1975年には国の伝統工芸品として指定されています。

 

 

 

 

南部鉄器の歴史

 

 

南部鉄器は17世紀の中頃、南部重直が陸奥盛岡藩の藩主となった頃に始まりました。

陸奥盛岡藩では昔から粘土や木炭・漆や、良質の鉄資材が豊富に採取されていたため、重直は鋳物産業を思い立ちます。そして山梨から鋳物師の鈴木縫殿、京都から釜師の小泉五郎七を招いて、茶の湯釜を製造したのです。これをきっかけに製造した湯釜は、藩から幕府への贈答品として珍重され、『南部釜』と名付けられた釜はその名を広めていきました。

 

やがて8代目藩主の南部利雄の時代になると、茶道を好んだ利雄の影響から茶道が盛んになり、藩内には多様な流派が発展していきます。そこで、様々に枝分かれした流派の統一とオリジナルの釜の制作に踏み出した利雄が、釜師の小泉仁左衛門に協力を依頼し出来上がったのが、『南部鉄瓶』だったのです。茶釜をより小ぶりに改良し、持ち手(ツル)と口をつけた南部鉄瓶は、それまでの大きく重い茶の湯釜に替わって多く用いられるようになっていきました。

 

江戸時代は藩主からの保護下に置かれ技術を高めてきた南部鉄器でしたが、明治以降には万国博覧会で海外から高い評価を受けたことで、廃藩置県で保護を失いながらもその技術は現代にも受け継がれています。

現在『南部鉄器』は、岩手県の盛岡市と奥州市で生産される鋳物の総称として呼ばれていますが、中でも丈夫で永く使える南部鉄瓶の人気は国内のみならず国外でも人気がある、日本の伝統工芸品の1つとして知られています。

 

 

 

 

南部鉄瓶の使い方

 

 

ここでは南部鉄器の歴史で触れた、南部鉄瓶の使い方について簡単にご紹介します。鉄で作られた南部鉄瓶を使う際にはいくつかの注意が必要です。

 

まず、使い初めには8分目位まで水を入れ、沸騰させます。最初の内数回はこの水が赤くなってしまうことがあるので、これが透明になるまで作業を繰り返していきます。また、使用後は必ず水分を無くした状態にしてから仕舞うと良いでしょう。鉄瓶だけでなく南部鉄器全般は鉄で出来ているため、水分を残したまま放置するのはよくありません。

 

もし、長く使用し、錆びてしまった場合にはパックに詰めた茶殻を鉄瓶で20分ほど煮詰めてみてください。そのあと何度かお湯を沸かして、湯が無色になってきたら、再度利用できる合図です。

 

 

 

買取に関するお問い合わせ

ご相談やご質問など、まずはフリーダイヤルでお気軽にお電話くださいませ。
  • お電話でのお問い合わせはこちら tel:0120-424-030
  • メールでのお問い合わせ