和骨董大辞典

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森田恒友(もりたつねとも)

森田恒友(もりたつねとも)

 

森田恒友は明治時代前半から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。フランスのポスト印象派の画家ポール・セザンヌに強く影響を受け油彩画を制作しましたが、一方で水墨画などの日本画の作品も多く生み出しました。

 

森田恒友の歴史

 

1881年、埼玉県の農家に生まれました。やがて画家を目指して20歳を迎えた頃に上京すると、洋画家の小山正太郎が主催した画塾の不同舎で絵を学び、21歳で東京美術学校の洋画家に入学しています。ここでは坂本繁二郎や青木繁などをはじめとした画家たちとも親睦を深め、在学中に太平洋画会にも足を運びました。卒業後は山本鼎らと共に美術誌の創刊を開始したり、挿絵などを投稿して生活し、自身の制作活動も続けていきます。そして東京美術学校を卒業した翌年、第一回文展に出品した『湖畔』が入賞し、以後太平洋画家展にも作品を出品したり、当時の文芸家や美術家たちの集った「パンの会」にも参加するなど、積極的な芸術活動を行っていきます。

 

その後、森田恒友は33歳の春にヨーロッパへ留学しますが、翌年の冬に帰国するまでの短い間でフランスやイギリス、イタリアなど多くの地に訪れ、ポスト印象派を代表する画家たちの作品から非常に大きな感銘を受けたと言われています。アンリ・ルソーやオノレ・ドーミエらの作品と並び、森田恒友が特に影響を受けたのはポール・セザンヌの作品で、森田の作品群を言い表す際には「セザンヌ時代」と呼び表されるものがあるほど、その影響がつよく反映された作品を多く残しました。

 

しかし第一次世界大戦の影響で帰国したのちは、日本の各所を巡って日本的な芸術を学んでいきます。油彩画の制作や日本美術院の洋画部への参加をしている反面、水墨画の制作を始めるなど、風景画や身近な自然を描いている点は大きく変わりませんでしたがその方法は対照的でした。

晩年は洋画団体の春陽会の立ち上げに携わり、以降は自然の写生をして過ごしたと言われています。

 

 

 

パンの会

 

明治時代末期にあった会合、または懇談会です。当時の若い作家や美術家たちが意気投合し、隅田川をセーヌ川としてその界隈の洋食店でロマン派芸術を語り合いました。これはフランス・パリのカフェのように東京にも芸術を語らう場所が必要だ、とする思想から来たもので、1908年から1913年まで続いたとされています。参加者には森田恒友を含め、石井柏亭や倉田白羊、山本鼎などの画家たちと、北原白秋や高村光太郎、谷崎潤一郎、木下杢太郎、市川左団次などの詩人や小説家、俳優など多くの文化人たちが名を連ねました。会期は短いものでしたが、反自然主義の新たな芸術運動の一部として名を残しています。

ちなみに、「パンの会」の名前はギリシア神話の享楽の神パーンから来ています。

 

 

 

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