和骨董大辞典

  • TOP
  • 和骨董大辞典

石井柏亭(いしはくてい)

石井柏亭(いしはくてい)

 

明治時代初期から昭和半ばにかけて活躍した芸術家で、洋画以外に版画家や美術評論家としても知られています。

 

石井柏亭の歴史

 

1882年に東京で生まれています。祖父と父は日本画家、弟はのちに彫刻家となった芸術一家で、石井柏亭自身も幼い頃から絵を学んでいました。10代前半からすでに柏亭の号を使って日本美術協会などの作品展に出品し、並行して印刷局の見習い生としての生活も送り、水彩画の独学も行っています。15歳からは画家で教育家としても名高い浅井忠や、書家・画家として活躍していた中村不折らに師事して油彩を学び、20歳になると太平洋画会に参加しました。

 

一時は東京美術学校に入学していますが病のため中退し、以降は文芸誌『明星』の挿絵を担当、そして20代半ばには仲間らと美術雑誌『方寸』の創刊を行っています。ここで掲載した作家自身が掘り起こした版画は、版画運動の先がけとなりました。やがて文学者たちと結成した、芸術家の集まりとなるパンの会から影響を受け、江戸の風景を描いた『東京十二景』などの木版画を制作することとなります。これらの作品は新版画と呼ばれ、石井柏亭の作品は画廊でも取り扱われることとなりました。

 

20代後半から30代にかけてはヨーロッパに外遊後、日本で「日本水彩画会」や二科会、一水会の創立に携わったほか、東京帝国大学や文化学院にて教鞭を執っています。また1928年にはレジオン・ドヌール勲章をフランス政府から授与され、そのほか帝国芸術院の会員や日展の運営会理事なども務めました。76歳で亡くなりましたが、その生涯で56000もの多くの作品を制作したと言われています。

 

 

 

新版画

 

1897年前後から昭和にかけて制作された木版画のことをいいます。よく知られている江戸時代の木版画・浮世絵は、文明開化によってもたらされた、大量印刷が可能な活版印刷の技術によって衰退していきました。

 

しかし明治末期になると、この木版印刷の技術を新たに芸術作品として用いようと芸術家たちが「創作版画運動」を始めます。この運動を始めた芸術家の1人が石井柏亭であり、彼らは江戸時代に行われた分業制の木版画とは異なり、一連の流れを作者本人が行う版画・現代木版画(創作木版画)を作り上げました。また、絵の作者と彫師、摺り師からなる従来の分業制の形は残したまま、肉筆浮世絵により近い質感を持った版画の制作を目指したのは渡辺庄三郎です。版元をしていた渡辺は各工程の熟練者にその作業を依頼し、日本人だけでなく外国人画家の作品も取り入れた『新作版画』を販売し好評を得ました。

 

 

 

買取に関するお問い合わせ

ご相談やご質問など、まずはフリーダイヤルでお気軽にお電話くださいませ。
  • お電話でのお問い合わせはこちら tel:0120-424-030
  • メールでのお問い合わせ