和骨董大辞典

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石垣栄太郎(いしがきえいたろう)

 

明治半ばから昭和後期にかけて活躍した洋画家です。長い間アメリカで活動した画家ですが、メキシコ人画家たちとメキシコ美術から影響を受けた作品が多く見られます。

 

 

石垣栄太郎の歴史

 

和歌山県の船大工の子として生まれた石垣栄太郎は、8歳で小学校、そして14歳で中学校に進学しましたが、その2年後には中学を退学しました。退学後はすでにアメリカに移民していた父・政治のもとへ向かい、以降、アメリカで生活していきます。この間にはボーイとしての下働きや、日本人キリスト教会にて聖書や社会主義について記載された書物に触れ、同時に英語も学んでいました。

 

やがて20代になるとサンフランシスコ美術学校やニューヨークにあるアート・スチューデンツ・リーグにて絵画を学び始めます。約2年間勉強すると自身でも絵画の制作を開始し、1917年からは在米日本人社会主義団体に加わっています。これは日本人社会主義者の片山潜によって結成されたもので、当時はマルクス主義理論についての研究会とされていました。石垣はこれに参加しながらジャーナリストや活動家のアメリカ人女性たちとも交流を深め、多くの刺激を受けています。

 

32歳の時には独立美術家協会展への出品作品、『鞭打つ』が注目を集めたことで、アメリカ画壇でその名を広めることとなり、その約10年後にはアメリカ美術家会議の設立準備にも携わるほどとなりました。

その後30代半ば頃には社会運動家であった田中綾子と結婚し、以降は夫婦で日本の軍国主義を批判し、米軍の対日的機関であった戦争情報局にて活動しています。やがて58歳の時には日本に帰国し、それからは本格的な制作活動は行わず、1958年、65歳で息を引き取りました。

 

 

 

アート・スチューデンツ・リーグ

 

19世紀後半に設立された美術学校です。元来の保守的な授業や課程に不満のあった美術学校の学生らによって設立された学校で、学位はなく、柔軟性と多様性のある教育が受けられることが特徴とされています。さらに140年以上もの間、どのような社会階級の学生であっても安価な授業料で教育を受けられるというスタイルを保っています。

これまでにも有名な講師陣と数多くの芸術家たちが在籍してきたため、作品はコレクションされており、日本人でいうと、教師として洋画家の国吉康雄や彫刻家の斎藤誠治。学生として彫刻家の高村光太郎や荻原碌山、洋画家の北川民次などが在籍していました。

 

校舎はニューヨークのマンハッタンに位置しており、建築家のヘンリー・ハーデンベルグによって設計され、現在では市指定の歴史的建造物としても登録されています。

 

 

 

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