和骨董大辞典

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渡部菊二(わたなべきくじ)

 

1907年に福島県で生まれた渡部は、中学時代に絵画の魅力に目覚め、その後画家として活躍します。

 

 

渡部菊二の歴史

 

旧制会津中学を卒業した渡辺は、地元の小学校で教員として働き始めました。しかし、その間もほぼ独学で水彩画を描くなど自身の作品の制作活動を続けます。やがて同郷の先輩であり、水彩画家の春日部たすくの協力を得て図画教師を務めたのち上京し、本格的に画家として活動を始めました。

 

作品には水彩画特有の明るく優しい色遣いで人物や風景を描いたものが多く、24歳で日本水彩画会展で初入選、また29歳の頃に文展で入選を果たすなど、若くして水彩画家としての地位を確立しました。題材の造形を強く意識し、近代的な構成がなされた水彩画作品を作り上げていった渡部は、その他にも白日会展での入選や、春日部たすくらと共に水彩連盟を創設するなど、積極的な活動を行っています。

40歳の若さで亡くなった渡部ですが、このように昭和前期の美術界において大きな功績を残しています。

 

 

 

春日部たすく

 

明治から昭和にかけて活躍した水彩画家です。福島県の出身で、中学を卒業すると上京し、日本画家の川端玉章が設立した川端画学校で絵を学びました。その後25歳の時に水彩画会展、翌年には帝展に出品した水彩画が入賞し、水彩画家として名を馳せていきます。

以降も帝展や文展に水彩画作品の出品を重ねていき、中央の西洋文化を崇拝した油絵以外は絵と認めない、というような思想の中で、水彩画の魅力を伝え続けました。1940年には小堀進や小山良修などの同志たちと水彩連盟を結成し、連盟や個展などの場で制作活動を行っていきます。

 

そのほかにも日本美術家連盟委員や日本ガラス絵協会会員など、多方面で活躍しました。

 

 

 

小堀進

 

渡部菊二や春日部たすくと同じく、明治から昭和にかけて活躍した水彩画家です。茨城県の出身で、中学の頃から故郷の水郷風景を描いていたことがきっかけとなり、19歳の時から葵橋洋画研究所に通い始め、さらに黒田清輝にも基礎を習いました。その後20代後半の頃に白日会に出品した作品『うすれ日』、そして日本水彩展に出品した2作が、初入選を果たします。翌年には二科展でも初入選し、少しずつその名を広めていきました。

以降も二科展の出品を続けながら、日本水彩会員や白日会の会員などに選ばれています。そして小堀が36歳の時、春日部たすくや渡辺菊二らと共に水彩画連盟を設立。同展覧会への出品の他、戦時中も文展へ出品した作品が2年連続で優勝するなど高い評価を得ました。

 

一時は故郷へ疎開しましたが43歳の時に東京に戻り、以降亡くなる前年まで毎年日展への出品を行っています。その間には、文展にて入選や無鑑査での出品、また審査員なども務めました。

 

 

 

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