和骨董大辞典

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河野通勢(こうのみちせい)

 

明治後半から昭和中ごろにかけて活躍した画家、そして版画家です。生涯を通して多くの作品を制作しましたが、油彩画と版画のみではなく、銅版画や挿絵、そして主題となるジャンルも風景画に人物画、山水画など多岐に渡りました。

 

 

河野通勢の歴史

 

1895年に長野県で産まれた河野は、図画教師であった父の影響もあって絵に興味を持ち、小学生になる頃には学校で展覧会を企画し提案するまでになっていました。その後進学していく中では運動部に所属するなどもしましたが、並行して制作活動も続け、19歳の時には中学卒業と同時に第一回の二科展で初入選も果たします。

 

こうして画家になることを志して上京した河野は、地元にいる頃から耳にしていた画家・岸田劉生と出会い、自身の作品の批評を依頼するなどしました。流行ではないルネサンス絵画に興味を持っていた河野は、最新の西洋美術を取り入れようとする動きが大きい当時の日本で、国内の風景画を制作しようとしていた岸田を自分と似た境遇にある人物として意識し、21歳の時には岸田劉生が仲間たちと共に創設した草土社の展覧会に素描作品を出品しています。

その後は草土社の同人となりましたが、そのほかの同人たちのような風景画を出品することはほとんどなく、作品には宗教画や挿絵が多く見られたそうです。これには河野が幼少期に日本正教会にて洗礼を受けたことが大きく影響しており、その当時に協会の中で目にしたイコンや聖書の物語から着想を得た作品を当時は多く描いていました。また、このほか肖像画や自画像、カリカチュア的な作品、そして1923年に起こった関東大震災の状況を描いた銅版画、さらにペン画や墨による作品も同時期に描いています。

 

その後20代半ばの頃からは挿絵画家としての人気が高まっていき、代表作には小説家・長与善郎による『項羽と劉邦』や大阪毎日新聞の『旋風時代』などが挙げられます。また、20代前半の頃からの付き合いとなった小説家の武者小路実篤とはよく組み、『七つの夢』『金色夜叉』などの作品で挿絵を担当しました。

当時の浮世絵師などの芸術家たちと共に木版画シリーズ『新錦絵今様歌舞伎四題』を完成させたほか、晩年まで春陽会や大調和会、国画会に参加するなど、最期まで積極的な活動を続けています。

 

 

 

 

カリカチュア

 

ある人物の特徴や性格を誇張して表現する画法です。現在では「風刺画」というとイメージがしやすいかもしれませんが、元は単なる画法の一つだったと言われています。起源とされるのは最古のものだと古代エジプトで描かれたものや中世で悪魔を描いたもの、縄文時代の日本で書かれた線刻の戯画、また156世紀に活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンなどもそれにあたり、これが16世紀の後半からイタリアで「カリカチュア」と呼ばれるようになりました。以降はそのコミカルかつ風刺的な表現に向いた画法が政治風刺や人物風刺に多く使われるようになっていきます。

 

 

 

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