和骨董大辞典

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脇田和(わきたかず)

 

1908年に生まれた画家で、温かい色合いで身近な題材を描いた、優しい雰囲気の作品を多く残しました。

 

 

 

脇田和の歴史

 

 

東京で貿易商社を経営する家に生まれた脇田は、青山学院中等部にて、当時教師をしていた画家の小代為重から絵画の手ほどきを受けたことで、絵に興味を持ち始めました。やがて脇田が15歳の時、姉夫婦が仕事の都合上ベルリン駐在になるのに同行し、学校を中退してベルギーに渡ります。16歳からはドイツの帝室技芸員に師事し、やがてベルリン国立美術学校に進学しました。学生生活の間にはゴッホやデューラーなどの作品に感銘を受けながらも、写真やリトグラフなど様々な技法を学び、22歳で美術学校を卒業します。卒業時には学校より金メダルを贈られるなど優秀な成績を残しました。

 

その後、父の急死を受けて東京に帰国した脇田は家業を継ぎましたが、創作活動を辞めることはなく、24歳の時は太平洋画会展や光風会展、帝展など次々と初入選を果たします。続けて翌年には日本水彩画会や光風会の会員となり、その他にも各展覧会に出品を続けていきました。

やがて35歳の時には陸軍報道部に勤務したことで1年間フィリピンに滞在したのち、翌年には自らも創設メンバーとなった美術団体新制作派協会の会員らと共に、神奈川に集団疎開しています。この疎開先の芸術家村では、同時代の画家たちと共同制作を行ったり楽団を築くなどし、脇田が41歳になるまで滞在しました。以後は日本美術会の創立やサンパウロ・ビエンナーレ、ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品、さらにはアメリカ国務省の招待によりアメリカ各地に滞在するなど国際的に活動し、高い評価を受けました。

 

50代からは自身の作品の創作活動に加え、東京芸術大学の教壇で後進の育成にも努めました。以後も軽井沢の個人美術館の設立や、世界各地で個展を開催するなど晩年まで精力的に活動を続け、2005年、97歳で息を引き取っています。

 

 

 

アルブレヒト・デューラー

 

15世紀後半から16世紀前半にかけて活躍したドイツの画家または版画家です。デューラーが活躍した時代はちょうどルネサンス期にあたり、デューラーは芸術家以外にも数学者としての一面も持っていました。

 

ドイツのニュルンベルクの金細工職人の家に生まれ、父や師に絵画や版画を学ぶと、20代の頃から国内を巡りながら修行を積んでいきます。またイタリアへも生涯で2度に渡って訪れ、イタリア・ルネサンスとその作品に強い影響を受けたと言われています。

帰国後は作業場を持ち、代表作でもある『黙示録』や『アダムとイヴ』など優れた木版画や絵画を多く生み出していきました。日本でも有名なダ・ヴィンチ、ラファエロなどとも親交を持ったほか、滞在先のイタリアでも注目を集め、1528年、ドイツで息を引き取ったと言われています。

 

 

 

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