和骨董大辞典

  • TOP
  • 和骨董大辞典

三岸好太郎(みぎしこうたろう)

 

明治末期に生まれ、昭和初期にかけて洋画家として活躍しました。若くして亡くなりましたが、日本のモダニスム絵画を牽引した代表的人物の1人です。

 

 

三岸好太郎の歴史

 

1903年に北海道で生まれた三岸好太郎は13歳の時に父を亡くし、その後は異父兄であり、作家として活躍した子母澤寛のもとに身を寄せていました。その後中学校を卒業するころには画家を志し、18歳の時に上京。様々な仕事をしながら生活し、また並行して独学で絵を描き続けます。そうして約2年が経ったころ、三岸好太郎は50倍ともいわれた審査を通過して、第一回春陽会展で初入選を果たすまでとなりました。また翌年には同展への出品作品で主席の賞を得たことで注目を集め、同年、自身と同じく洋画家の三岸節子と結婚しています。

2年連続して春陽会展で優秀な成績を収めた三岸でしたが、その後数年間は展覧会へ作品を出品しても評価されず、酷評を受けることが続きました。しかし、この間友人との旅行で訪れた中国で、サーカスを目にしたことがきっかけとなり、以降、三岸好太郎の作品はそれまでの素朴さや東洋風な特徴のある作風から、情感を強く表現した作風に変化していきます。20代半ばの頃には特にその影響が顕著に感じられる、「道化」をテーマとした作品を多く制作するようになり、中でも第7回の春陽展に出品した『少年道化』は高い評価を受け、スランプを脱することにも繋がりました。

 

1930年には独立美術協会の会員となり、同会の展覧会でも「道化」がテーマの作品を積極的に発表していきます。そしてその作品の中にはフォーヴィスムに傾倒したような作品も多数描かれていました。三岸好太郎は新たな作風の確立に挑戦する中で、29歳の時に訪れた展覧会で目にしたフランスの前衛絵画に特に大きな影響を受け、以降は前衛主義的作品の制作に没頭していきます。抽象的表現や線を用いた表現、またシュルレアリスムなど多角的な前衛表現の中で試行錯誤しながら独立展に出品を続けると共に、故郷札幌に滞在することも増え、作品制作はもちろん、講演会や新聞等への執筆など幅広い分野で活動していきました。

 

晩年は自身で制作した詩『蝶と貝殻』とテーマを同じくした絵画作品のシリーズを手掛け、建築などにも興味を持っています。しかし1934年、旅行先の名古屋にて31歳の若さでこの世を去りました。

 

 

 

買取に関するお問い合わせ

ご相談やご質問など、まずはフリーダイヤルでお気軽にお電話くださいませ。
  • お電話でのお問い合わせはこちら tel:0120-424-030
  • メールでのお問い合わせ