昭和初期に誕生し、平成初期にかけて活躍した洋画家です。日本、フランス、スペインで制作活動を行い、ゴヤやベラスケスに影響を受けた独創的な画風を確立しました。
鴨居玲の歴史
1928年に石川県に生まれた鴨居玲は、新聞記者をしていた父の転勤に従い間もなく韓国へ渡りました。現地の小学校を卒業後、石川県に戻り、中学を卒業すると、当時疎開して石川県にいた洋画家・宮本三郎から絵を学ぶようになります。こうして18歳の時に金沢美術工芸大学に進学し、洋画を専攻。2年後には二紀会に出品した『青いリボン』が初入選を果たし、在学中からその才能を発揮すると、翌年、卒業した年にも同展で入選と褒状の双方を受賞しました。
卒業後はしばらくの間、乃村工芸社で看板製作などに携わりますが、約1年後に退職すると田中千代服装学園で教壇に立っています。並行して制作活動も続け、26歳の時には二紀会の展覧会で努力賞を取得。日本国内でも少しずつその名を広めていき、1956年には若林和男との二人展を東京と大阪で成功させました。その後、油彩以外にもパステル画など様々な表現方法を模索し、30歳の時にはパステル画を発表して二紀会の同人賞を受賞しています。
この頃から鴨居玲は連続してヨーロッパに長期滞在しています。油彩作品の制作に行き詰まりを感じて渡ったフランスでは、パリで開かれたジュヌ・パントゥールで入選を果たして約2年の滞在から一時帰国しました。帰国後は日本で各美術展に水彩画や油彩画を出品し、入選や佳作賞を受賞しますが、1965年には再びヨーロッパへ渡っています。この渡欧ではブラジルやイタリア、フランスを渡り歩いたほか、パリにはアトリエを持ち制作活動に打ちこみました。
1967年の帰国後は、一度は脱退した二紀会に再度同人として推薦され、また日動画廊での個展を実現させるなど渡欧の成果を披露します。そのほか各展で優秀賞を受賞し、出品作が東京国立美術館の買い上げになるなどしていますが、以降も鴨居玲の制作活動は日本にとどまらず、ヨーロッパ、特にスペインとフランスを軸にした活動を続けていきます。各都市で作品の発表や個展の開催を行い、49歳の時、日本に戻りました。
帰国後、鴨居玲は兵庫県にアトリエを建て、各展の選考委員や母校の工芸大学にて、晩年まで後進の指導に当たっています。そして1985年、57歳で息を引き取りました。