和骨董大辞典

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小山正太郎(こやましょうたろう)

 

1850年代、安政年間に生まれ、大正時代前期にかけて武士または洋画家として活躍しました。教育の場でも活躍したほか、展覧会の審査員なども務めています。

 

 

小山正太郎の歴史

 

1857年に長岡藩で藩医を務めていた父のもとに生まれた小山正太郎は、自身も10代前半で早くも藩士となりましたが、それから約2年後には廃藩置県が施行されたため地元の学校で学ぶようになりました。その後上京し、当初は政治家を目指していたものの、翌年には画家の川上冬崖が開いた画塾、聴香読画館に通うようになります。塾内で才能を開花させると、小山正太郎は16歳で陸軍の寮に入り、翌年には、士官学校に教官の1人として招かれていたフランス人建築家、アベル・ゲリノーから絵を学びました。

 

やがて1876年には工部美術学校に進学し、アントニオ・フォンタネージの生徒となりましたが、特に優秀であったためフォンタネージの助手も務めるようになっていきます。しかし、その後任の教師の教育法に疑問を抱き、同校を退学。21歳の時には退学者を集めた美術団体である十一会を設立し、翌年には東京師範学校で図画教師として教壇に立ちました。

 

これ以降、小山正太郎は様々な教育の場に深く携わっていきます。全国の教育機関での図画教育を広める為、調査、教科書の編纂などに尽力したほか、その過程では美術史家のフェノロサと教育の現場において毛筆と鉛筆のどちらの画法を普通教育とするかの論争に積極的に意見し、33歳の時にはその論争に敗れたこともあって東京高等師範学校を解任されました。その後は自ら画塾を主宰したほか、30代の頃には同校の初等・中等教育の場でも活躍し、後進の教育に励んでいきます。1900年にはパリ万博に向けた出品監査員にも任命され、のちに文部省の命によるヨーロッパの図画教育状況の視察員や、文展審査員も務めました。

そして1916年、59歳で息を引き取っています。

 

 

 

アベル・ゲリノー

 

小山正太郎が水彩画法などを学んだフランス人建築家です。1841年にフランスで生まれ、20歳でエコール・デ・ボザールにて建築を学び、その後は建築家のアトリエに所属しました。やがてフランス軍に入りますが、33歳の時にお雇い外国人として日本に招かれ、陸軍の士官学校で建築学を教え始めます。中でもアベル・ゲリノーは図学を教え、このことから小山正太郎にも指導することとなったほか、日本人教師陣には西洋絵画や写真の技法を教えました。日本建築にも興味を持ち、滞在中は寺社を周ってその様式を研究し、39歳でフランスに帰国後、展覧会でその成果を披露し賞を受賞しています。日本以外にチリでも活動し、88歳で息を引き取りました。

 

 

 

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