和骨董大辞典

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原撫松(はらぶしょう)

 

江戸時代末期、1866年に生まれ、大正時代にかけて活躍した洋画家です。主な活動は明治時代でしたが、油彩画でも特に優れた技法を用い、肖像画を多く手がけました。

 

 

原撫松の歴史

 

岡山県の藩士の家に長男として生まれた原撫松は、13歳の時に小学校を卒業すると、すぐに県内で西洋画を描いていた平野雄也や多賀清光に絵を学び始め、1881年に京都府画学校に進学しました。岡山では水彩画を中心に学んでいた原撫松でしたが、進学後は田村宗立をはじめとした教師陣に洋画を学んでいきます。家庭の事情から学費の支払いが難しくなった時期もあったようですが、田村宗立や校長の助けで授業料は免除となり、デッサンや肖像画の制作を行うアルバイトで生活しながら、3年後には首位の成績で京都府画学校を卒業しました。

 

卒業後、京都や滋賀で図画を担当する教師として教壇に立っていた原撫松でしたが、21になった頃、画家としての道を捨てきれなかったことから岡山へ帰郷。独学で絵画の腕をみがく一方で、日蓮宗の僧と出会い、毎晩教えを受けるうちに内面に大きな影響を受けたことで、私欲を捨て美術の道に専念することを決心したと言われています。その後30歳になると上京し、この頃から、帝国鉱山局で局長を務める伊藤弥次郎に贈られた“撫松”の名を名乗り始めました。この伊藤弥次郎を通じ、原撫松は伊藤博文をはじめとする名士たちの肖像画制作を行い、やがてイギリス留学に出発しています。1904年に出発して帰国するまでの約3年間は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーなどの美術館に週3回ほど通い、ヴェラスケスやレンブラントをはじめとしたヨーロッパの画家達の作品を、専門家の模写指導を受けながら学び、本格的な油彩画の技法の習得に打ち込みました。

 

日本に帰国し、41歳となっていた原撫松はその後体調を崩しがちになり、制作依頼を受けた赤坂離宮の壁画制作も未完のまま、1912年、47歳で息を引き取っています。

 

 

 

ディエゴ・ベラスケス(ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス)

 

17世紀に活躍したスペインの画家です。時代はちょうどバロック絵画の時期にあたり、17世紀の代表的な画家のひとりとして知られています。

1599年にスペインの南で生まれ、10代になると地元の有名画家に弟子入りし、18歳の時には独立を果たしていたと言われています。その後結婚も果たし、画家として生計を立てながらマドリードへの旅行を繰り返していたベラスケスは、現地で国王フェリペ4世の肖像を描くこととなり、これがきっかけで宮廷画家に任命されました。

以降は宮廷内の装飾を担当し、王の許可を得て出向いたイタリア旅行や、外交官として出会ったドイツ人画家のピーテル・パウル・ルーベンスとの親交から得た刺激を、生涯自身の作品制作に活かしていきました。晩年には宮廷内でも要職に就き、1660年、61歳で息を引き取りました。

 

 

 

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