和骨董大辞典

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山口長男(やまぐちたけお)

 

明治後期に生まれ、昭和末期にかけて活躍した洋画家です。

洋画、そして彫刻も学び、昭和の抽象画家の代表的人物の1人として活躍しました。

 

 

山口長男の歴史

 

1902年に韓国で生まれた山口長男は、父は鹿児島の出身でしたが、19歳の時に日本に来るまでは現地の学校に通って生活していました。中学生の頃から絵画に興味を持ち始め、やがて日本に移り、上京すると本郷洋画研究所や川端画学校に通い、より美術に打ち込んでいきます。こうして20歳で東京美術学校の西洋画科に進学した山口長男は、在学中は洋画家の和田英作の指導を受け、25歳の時に同校を卒業。卒業後は同級生であった猪熊弦一郎や牛島憲之などの画家仲間たちと美術団体の上杜会を設立しますが、まもなく上杜会でも一緒だった荻須高徳と共にフランスへ渡りました。

 

渡欧後、パリへ渡った目的のひとつでもあった佐伯祐三の作品制作を目にし、大きな影響を受けた山口長男は、その後立体的な表現による理解を深めるべく、彫刻家のオシップ・ザッキンのもとに通っています。キュビスム風作品も手掛けるようになり、約3年間のフランス滞在を終えると、1931年の二科展に出品した2作品が入選となりました。フランスでの経験を経て自身の抽象的表現を織り交ぜた画風を確立した山田長男は、以降も二科展で受賞を重ねていき、1938年には二科会の会友に推薦されます。また前衛絵画の研究団体として、顧問に藤田嗣治と東郷青児をおいた九室会を吉原治良や高橋迪章、峰岸義一、広幡憲などと共に設立し、作品展も開催しました。

 

 

その後、終戦すると二科会の会員となり、以降17年に渡って同会で作品の発表を行っていきます。52歳の時には現代日本美術展で優秀賞を受賞し、戦後における抽象絵画の先駆者として活躍していきました。自身の制作活動も積極的に続け、1953年には恩地孝四郎や吉原治良らと日本アブストラクト・アート・クラブを結成。同会で会員としてアメリカやブラジル、イタリアなどをはじめとする数々の国際展に作品を出品したことで海外でも高い評価を得、60歳の時には芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。国内ではこの間50代から70代前半までの期間は武蔵野美術学校にて教授を務めたほか、美術館での講演会や多くの作品展への出品、また1963年の二科展退会後は個展の開催や壁画制作、陶板画作品なども手掛けました。

 

晩年まで精力的に活躍し、1983年、80歳で息を引き取っています。

 

 

 

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