和骨董大辞典

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本郷新(ほんごうしん)

 

明治時代後期に生まれ、昭和後期にかけて活躍した彫刻家です。

生涯、人をテーマにした作品を数多く創りました。

 

 

 

本郷新の歴史

 

1905年に札幌に生まれた本郷新は、やがて関東に移り、東京高等工芸学校の彫刻科に進学しました。同校を卒業したのと同年には、さっそく国画会に出品した作品が初入選となりますが、本郷新は高村光太郎の指導のもとでより腕を磨くようになり、アントワーヌ・ブールデルやオーギュスト・ロダンをはじめとするヨーロッパの彫刻家たちの作品からも刺激を受けます。1929年からは女学校の教師を務めながら作品制作を行うようになり、1931年には国画会展で国画奨学賞を受賞。その後30代では新制作派協会の彫刻部設立に加わりメインメンバーとして活躍したほか、彫刻に関する著書の出版や野間美術大賞の受賞などを経験しました。

 

以降も精力的に作品を制作し、1953年の『母と子と』で日本平和文化賞、1959年の日本国際美術展で優秀賞を受賞し、故郷の札幌では市民広場に『泉』、札幌駅前に『牧歌』、また各所に北海道開拓記念碑として本郷新の作品が建てられました。また、この間54歳の時には高村光太郎賞の選考委員として選ばれ、その後も中原悌二郎賞や彫刻の森美術館大賞の選考委員など要職を歴任していきます。

 

晩年は東京と札幌で個展を開催し、第40回ならびに42回の新制作展では北海道新聞文化賞、北海道文化賞を受賞。亡くなる前年の1979年には札幌のアトリエを市に譲り、勲三等瑞宝章を受章しました。

 

 

 

アントワーヌ・ブールデル

 

19世紀中ごろから20世紀前半にかけて、フランスで彫刻家として活躍しました。本郷新にはロダンと共に、その作品制作に影響を与えています。

 

キャビネットの作成を生業にしている父のもとに生まれたブールデルは、13歳の時に父の仕事を手伝うため学校を辞め、木工の職人になるべく見習いとして働くようになりました。これをきっかけに芸術の才能を発揮し始め、ドミニコ・アングル美術館を設立した人物に絵画の指導を受けたのち、美術学校に進学。ここで彫刻を本格的に学ぶようになり、20代中頃になるとパリのエコール・デ・ボザールに入り勉強に励みます。

卒業後はオーギュスト・ロダンの助手なども経て、20世紀の代表的彫刻家の1人として活躍し、記念碑の制作や、美術機関サロン・デ・チュイルリーの創設に携わり、副社長も兼任しました。63歳の時にはレジオンドヌール勲章も授与され、1929年、67歳で息を引き取っています。

 

 

 

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