和骨董大辞典

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土谷武(つちたにたけし)

 

大正末期に生まれ、平成半ばにかけて活躍した彫刻家です。

金属や石を材料としながらも、動きのある作品づくりを得意としました。

 

 

 

土谷武の歴史

 

1926年に京都で生まれた土谷武は、清水焼の陶工・清水七兵衛を先祖に持つ家系に生まれました。代々受け継がれてきた家柄でしたが、のちにこの実家は土谷武の弟に引き継がれることとなります。一方で土谷武は学生時代から彫刻に興味を持っており、13歳の時に京都市立美術工芸学校の彫刻科に入学し、その後東京美術学校彫刻科の塑像部に進学。23歳で卒業したのちは、都内に友人らと共に、共同アトリエの「アトリエ・ド・ムートン」を設立したほか、生涯の友となる彫刻家の柳原義達との親交を深めていきました。

 

その後、日本大学芸術学部の非常勤講師を経て、1961年からはフランスへ渡ります。約2年間の滞在中はパリにある美術学校で学び、帰国後は1968年から多摩美術大学の美術学部彫刻家で後進の指導に励みました。その後50代の頃からは日本大学芸術学部でも教授職を務めたほか、並行して自身の作品制作も行い1979年のヘンリー・ムーア大賞展での優秀賞受賞を皮切りに、サンパウロ・ビエンナーレなどの各種展覧会、そして個展の開催など、精力的に活動していきます。やがてこれらの功績が認められ、1994年、68歳の時には芸術選奨文部大臣賞、2年後には紫綬褒章を受章しました。各所での展覧会は晩年まで行い、2004年、78歳で息を引き取っています。

 

 

 

ヘンリー・ムーア

 

19世紀から20世紀にかけて活躍したイギリスの彫刻家です。特に野外彫刻で有名で、前衛的な表現によるブロンズや大理石の彫刻を多く手がけました。

 

ヘンリー・ムーアは鉱山技師をしていた父のもとに生まれ、11歳の頃に学校の美術教師に作品をほめられた事をきっかけに彫刻に興味を持ち始めました。その後、10代後半には一時徴兵されますが、退役後にイギリスのリーズ芸術学校に進学。同校では彫刻を学び、王立芸術大学にも進むと、古典的な様式を嫌い、前衛的な表現に傾倒していきます。やがてこの王立大学で教員を経験したのち、結婚し、前衛芸術家たちの多く居たハムステッドに移住。ここで当時の美術評論家や芸術家たちと親交を深め、30代の頃にはチェルシー芸術学校で彫刻の指導を行いながら、制作活動を行いました。

 

第二次世界大戦中は戦争画家として活躍し、この時戦禍のイギリスの街と人々を描いた作品はのちにアメリカを中心に高い評価を受けています。戦後は家族で小さな農村に引っ越しますが、芸術家としての活動は国内外で活発に行うようになり、ニューヨーク近代美術館での回顧展開催や、ヴェネツィア・ビエンナーレ展での国際彫刻賞の受賞、フランスのユネスコ本部の建造物に携わるなどしています。しかし一方で、得た収入を派手に使うことはせず、農村にある家で家族と共に最期まで質素な生活を送ることを好みました。晩年まで世界中で展覧会を行い、勲章も受け、1986年、88歳で息を引き取っています。その後使われずにいた莫大な資産は美術教育の普及とヘンリー・ムーアの作品保護のために使用されています。

 

 

 

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