和骨董大辞典

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浜田知明(はまだちめい)

大正時代中頃に生まれ、平成末期にかけて活躍した版画家、または彫刻家です。

第二次世界大戦中の経験を主題とした作品で多くの代表作を生み出しました。

 

 

浜田知明の歴史

 

1917年、浜田知明は教育職に就いていた父のいる家庭に次男として生まれました。美術に興味を持ったのは中学生のときで、浜田知明の住む地域に新たにできた中学校へと赴任してきた、東京美術学校を卒業してまもない洋画家の富田至誠から美術の指導を受けたのがきっかけと言われています。中学では優秀な成績が続き、飛び級で卒業すると、10代半ばで富田と同じく東京美術学校に進学。ここでは油画科に入り、洋画家の藤島武二から指導を受けました。

 

第二次世界大戦直前であった当時、1939年に東京美術学校を卒業すると、浜田知明はその後すぐに熊本の歩兵部隊に入隊しています。戦時中は中国での軍務を終え、26歳で除隊しましたが、翌年には再度入隊し、その後はほぼ国内で任務を果たしました。こういった軍務に就いていた期間は20代の大半であり、この中で浜田知明は任務先での素描を多く残しています。終戦後は故郷へ戻り商業学校の教員をしていましたが、31歳の時に上京。戦時中は作品展などでの発表はありませんでしたが、この上京を機に本格的な画壇デビューを果たしていきました。

 

当初は自由美術家協会で活動し、30代半ばになると同会の展覧会で発表した銅版画が注目を集め、少しずつその名が知れていきます。この時に出品した『初年兵哀歌』は、自身の戦時中の経験をもとにしたもので、以降4年に渡りシリーズ化されました。中でもシリーズの最後となる1914年の作品は、その後スイスの国際版画ビエンナーレ受賞作品に選ばれています。以降は日本国内以外に、オーストリアやイギリス、イタリアの各美術館で回顧展を行い、特にイタリアのウフィツィ美術館では、日本人の版画家としては初の展示となったため話題を集めました。

 

こうした功績が認められ、40代後半の頃にはフィレンツェの美術アカデミー版画部名誉会員、続いて70代になるとフランスのシュヴァリエ章を受けるなどし、国内外で精力的な活動を行っていきます。

晩年は彫刻作品も手がけ、90代後半まで活躍し、2018年、100歳で息を引き取りました。

 

 

 

富田至誠(とみたしせい)

 

明治時代後半から昭和中ごろにかけて活躍した洋画家です。生涯美術教育に携わり、中学生時代の浜田知明への指導も行いました。

1897年に熊本県で生まれた富田至誠は、中学生の時に美術に興味を持ち、20歳になると東京美術学校の西洋画科に進学します。同校を卒業後はまもなくして、開校してすぐの熊本県内の中学校に美術教師として勤め始めました。20代前半から美術教師となり、多くの子供たちに美術の素晴らしさを伝え、晩年までこの教育者としての職を全うしています。浜田知明を含め、著名な芸術家の教育に多く関わりましたが、自身は作品展への出品や個展の開催などは行わず、52歳の若さで息を引き取りました。

 

 

 

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