昭和初期に生まれ平成後期にかけて活躍した美術家です。
前衛美術家として世界的に評価されています。
河原温の歴史
1932年に愛知県で生まれた河原温は、同県で高校を卒業すると上京し、進学はせず、独自で絵画の勉強と制作を始めました。制作した作品は、上京した翌年から早くも展覧会に出品していき、アンデパンダン展やデモクラート展で評価を得たほか、画廊で個展を開催するほどとなり、早い時期からその才能を表していきます。素描や油彩を中心とした作品が多かったため当初は画家として注目を集めていましたが、河原温はより多くの人に作品を目にしてもらうことを狙い、オフセット印刷という技法を用いた印刷絵画の制作も開始。しかし、それでも限界を感じ、20代後半の頃には国外へと飛び立ちました。
日本を出たのちメキシコやパリの滞在を経て、河原温は1965年ころから拠点をニューヨークに定めています。メキシコなどに滞在していた期間も日本を行き来しながら創作活動は続けていますが、ニューヨークに移ってから制作が開始された、キャンバスに記号や文字を表した“日付絵画”もしくは“Todayシリーズ”と呼ばれる作品は河原温の作品の中でも代表作とされています。これらの作品は単に文字を描いたものや、ある一日の24時間の内に作品を完成させた、その日の行動経路を描き表したものなど多岐に渡り、亡くなるまでに3000点もの日付絵画を制作しました。特に30代半ば頃からはこのシリーズの作品に打ち込んでいき、公の場に姿を現すことは減りながらも、自身の存在を他者に発信する作品制作を続けています。
一方で100万年分の西暦をタイピングした10巻にも及ぶ書物型の作品『100万年』も作成しており、同作は日付絵画と合わせて河原温の晩年の活動の基盤となりました。60代の頃には同作を俳優や一般人が朗読するパフォーマンスを行い、録音したものを発売したほか、日付絵画を幼稚園に展示するという企画は世界各国で行われています。
日付絵画の発表から経歴や生没年が伏せられていたため、明確な年月は明らかになっていませんが、80代前半の頃に息を引き取ったといわれています。
コンセプチュアル・アート
河原温が30代の頃に世界で行われた前衛美術の運動です。日本では“概念芸術”などと言い表され、日本では河原温も含め、前衛芸術家の松澤宥、高松次郎、荒川修作なども代表的な作家たちとして知られています。
この運動は20世紀初頭のフランスの美術家マルセル・デュシャンの活動が起源となっており、それまでの形式にとらわれない美術表現が多くのジャンルで評価されていきました。世界各地の芸術家たちの間で広まっていき、多数の前衛芸術家を生み出しています。