和骨董大辞典

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佐伯祐三(さえきゆうぞう)

 

明治時代後半から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。パリの街並みを描いた作品が多く残されています。

 

 

佐伯祐三の歴史

 

 

 

大阪の寺院で生まれた佐伯祐三は、19歳の時に川端画学校にて藤島武二に絵画を学び始めました。そして中学校を卒業すると、翌年には東京美術学校の西洋画科に進学して引き続き藤島武二に師事し、在学中に画家の佐伯米子と結婚。卒業時には自画像を描いています。

 

その後20代半ばの頃にはフランスに渡っています。現地では里見勝蔵などの日本人画家との交流のほか、ポール・セザンヌやモーリス・ド・ヴラマンクらの作品に影響を受け、ヴラマンク本人には直接訪ねて行き、指導を受けました。師としてヴラマンクを慕っていった佐伯祐三の作品は、ヴラマンク本人より「アカデミック(伝統的)すぎる」と批評されたことから、それまでの比較的穏やかな作風から主題選びにもこだわりを持った作風へと徐々に変化していきます。

 

やがて体調不良から1926年の初頭には帰国することとなり、帰国後にはフランスで親交を深めた里見勝蔵らをはじめとした仲間たちと1930年会を創設しますが、翌年29歳の時には早くも2度目の渡仏を実行しました。

滞在中は積極的に制作活動を行い、フランスの街並みやカフェ、また代表作のひとつでもある郵便配達夫なども描いていきます。しかし、翌年には持病であった結核が悪化していき、帰国することなく、30歳の若さで亡くなりました。

 

 

 

モーリス・ド・ヴラマンク

 

19世紀後半から20世紀半ばにかけて活躍したフォーヴィスムの画家で、文筆家としても知られています。ヴラマンクはフランスの音楽教師の家に生まれましたが、幼い頃から規則や他人に従うことを嫌い、親から受ける音楽の指導もおろそかに、1617歳で家を出たと言われています。その後は憧れていた自転車レースの選手やボートレース、オーケストラにてヴァイオリンを担当し生活していました。

 

やがて20代半ばの頃に兵役から戻ったヴラマンクは、偶然に知り合った画家のアンドレ・ドランと意気投合し、共にアトリエを設けることとなります。また翌年にはゴッホ回顧展に強い影響を受けたと共に、ドランを通してアンリ・マティスとも親交を深めました。

 

その後1905年に、彼らがサロン・ドートンヌなどで発表した非常に鮮やかな色使いの作品が注目を集め、フォーヴィスム(野獣派)という美術運動を起こすきっかけとなっています。長く続いた運動ではありませんでしたが、ヴラマンクはこのフォーヴィスム、そしてゴッホなどの影響も少なからず受けた作品をその後も制作しました。

自身の周りの風景や静物を多く主題として選び、晩年は小さな村にアトリエを置き息をひきとっています。

 

 

 

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