和骨董大辞典

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中尾彰(なかおしょう)

 

1904年に生まれ、油彩画も描きましたが、絵本の挿絵や童画の制作にも注力しました。

 

 

 

中尾彰の歴史

 

島根県に生まれた中尾は幼少期から絵を描くことが好きで、小学校に通いながら独学で絵を学びました。卒業後は満州にて満鉄育成学校に入学し、同校の卒業と同時に日本に帰国すると、21歳から故郷の小学校や女学校で教員として働いています。それからしばらくは教員生活を送りましたが、1931年に第1回独立美術展で入選。それ以後は展覧会への出品と制作活動を積極的に行いました。ほかにも詩文の発表と刊行など、多岐に渡る芸術活動を行い、やがて独立美術展にて独立賞を受賞すると、同時に会員にも推薦されています。

 

これまでは落ち着いた色合いで主に油彩画を手掛けていた中尾でしたが、30代後半から「こどものための美術」を提唱するようになると、その画風はパステル調の優しい色合いのものに変化していきました。以後は数多くの児童出版物を手がけると共に、新聞や教科書の挿絵の制作なども行い、1946年には「日本童画会」を自ら立ち上げ後進の育成に励んでいます。

 

晩年まで自身の制作活動、そしてこどものための美術運動を続けた森は、51歳の時には小学館絵画賞を、78歳では児童功労者として表彰され、その多くの作品が故郷の島根県立美術館に収蔵されています。

 

 

 

独立美術協会

 

1930年に設立された美術家団体です。新しい時代の美術の確立を目指したもので、既存の団体の芸術的風潮に疑問を持っていた者や、前衛的な芸術をヨーロッパで学び日本に帰国した者たちが主な初期メンバーとなっています。二科会や国画会の中でフォービスムに傾倒していた里見勝蔵や高畠達四郎、シュルレアリスム的表現を追求した福沢一郎や三岸好太郎などがそれにあたり、それまでの洋画とは大きく異なる構図や色使いであるために当時は受け入れられづらかった前衛的な芸術を、早く浸透させ日本画壇が躍進することを目指しました。

 

以降も、各時代で新たな美術的表現を模索し続け、東京都美術館や国立新美術館などで現在に至るまで展覧会を続けています。

 

 

 

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