和骨董大辞典

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今井俊満(いまいとしみつ)

 

昭和初期に生まれ、平成中頃にかけて活躍した洋画家です。激しい色遣いと表現の抽象絵画を主とするアンフォルメルの日本人画家として、国内外で活動しました。

 

 

 

今井俊満の歴史

 

今井俊満は1928年に京都で生まれるとまもなく大阪に移り、小学校卒業後13歳で上京しました。そして東京で高校生活を送る中で、絵画に興味を持ち始め、自身でも筆を持つようになったと言われています。これをきっかけに梅原龍三郎や安井曾太郎などの洋画家から絵を学んでいき、1948年に高校を卒業すると、その秋には自身の制作作品が新制作派協会展で早くも入選。1950年には1年間、東京芸術大学の油絵科に派遣学生として在籍して学び、翌年新制作派協会展で再び入選ならびに新作家賞を受け、その名を徐々に広めていきました。

 

その後、20代半ばとなった頃、今井俊満は自費でフランスへ渡っています。現地ではソルボンヌ大学の文学部に入学したほか、アメリカ人画家のサム・フランシスや、フランスの美術評論家ミッシェル・タピエなどの存在を知ることとなり、特に1955年頃から交流したジャン・デュビュッフェやジョルジュ・マチューなど当時のアンフォルメル運動において先駆者的役割を担っていた芸術家たちの存在は、今井俊満に非常に大きな影響を与え、やがて自身もその運動に参加しました。

その後、1956年に日本国内ではじめてアンフォルメル作品が紹介される機会となった展覧会“世界・今日の美術展”では、岡本太郎の依頼もあってミッシェル・タピエの集めた作品が展示され、その作者でもあったマチューらが来日。今井俊満も共に一時帰国し、アンフォルメル運動を広めるべく、マチューらと活動しています。以降、30代~40代にかけては日本とパリを行き来しながらの生活を送った今井俊満は、展覧会での作品発表や大阪万博における展示の一部の美術監督などを務めました。また、国内外での活躍とその功績を認められ、1979年には51歳で紺綬褒章を受章しています。フランスでも“世界・今日の美術展”が開催された翌年にパリの画廊で自身初となる個展を成功させたほか、50代の時に芸術文化勲章のオフィシエ、さらに1995年にはレジオン・ド・ヌール勲章を受賞するなどし、絵画以外にも音楽、建築装飾などに興味を持っていきました。

 

そのほかにも画集の出版や、金銀と華やかな日本の伝統表現から影響を受けた花鳥風月シリーズの確立など、晩年まで積極的に制作活動を行い、国内でも各地の美術館で展覧会を開催。余命を宣告されたのちに『サヨナラ展』を行ったのを最後に、2002年、73歳で息を引き取っています。

 

 

 

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