和骨董大辞典

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伊賀焼(いがやき)

三重県の伊賀市で製造されている陶器です。高温焼成によって引き締まった陶土に現れる素朴な肌触りや、焼成中に降りかかる灰がガラスのようになって付着するビードロ釉が特徴です。

また、整った形成をするのでなくあえて歪みを作ったり、手で形を崩して焼き上げるいわゆる「破調の美」を表現したものも生産されました。

どれも耐火性が高く、耐熱食器や土鍋としての人気が高いやきものです。

 

 

 

伊賀焼の歴史

 

 

伊賀焼の前身は奈良時代、農民が焼いていた生活雑器だと言われており、その当時は伊賀焼と同じく「古琵琶湖層」の陶土を用いていた信楽焼と非常によく似た焼き上がりだと言われていました。

 

伊賀焼が本格的に焼かれ始めたのは桃山時代となります。伊賀国領主の筒井定次や藤堂高虎が、交流のあった茶人古田織部らから学び、主に茶道で使われる花入や水指、茶入れなどの陶器を制作しました。当時の伊賀焼は現在「古伊賀」と呼ばれており、冒頭で紹介した「破調の美」を表現したものやヘラで波模様を描いたものなど、素朴な肌触りも相まって侘び寂びを表す茶陶として広く流通します。江戸初期まで生産は続けられますが、1669年に陶土を採集していた御留山が藩の保護区となり採集制限が出されると、陶工たちは伊賀の土地を去りそれと共に伊賀焼は衰退してしまいました。

 

 

その後伊賀焼が復活したのは江戸時代中期のことです。瀬戸や京都から施釉陶器の技術がもたらされたことをきっかけに、三郷山の陶土を使った伊賀焼の生産が再び始まったのです。復興後は茶陶の生産はほとんどなくなりますが、日用雑器や古伊賀写しの制作、また江戸後期からは土鍋・行平鍋・土瓶などの生産が盛んになり、耐熱性の高い日用雑器は現在に至るまで親しまれています。

 

 

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