大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)は大阪府の大阪市、松原市、東大阪市、羽曳野市を中心に製造されている錫器の総称です。制作には鋳込み、ろくろ引き、接合、仕上げの工程があり、ひとつひとつ職人の手によって加工が行われています。また、安定した錫が用いられ、耐久性が高いのも大阪浪華錫器の特徴と言えるでしょう。
大阪浪華錫器の歴史
錫が日本に伝わったのは飛鳥時代の頃、遣隋使や遣唐使によってもたらされたと考えられています。この当時の錫製品は奈良県の正倉院にも保管されており、伝来した当初は上流階級が使う器や神具にのみ使われるものとして珍重されていました。それから文化と技術が発達し、江戸時代になると京都を中心として錫の加工産業がひろがっていきます。大阪浪華錫器の始まりはこの錫の加工産業の広まりにあります。
大阪での錫器の生産は、京都から影響を受け、江戸時代前半にはすでに始まっていました。当時の書物に残る『錫引き、堺い筋』という記録からは、流通の良かった大阪の上方でその製造が行われていたことが分かります。やがて心斎橋を中心に多くの錫屋が開店し、大阪に錫製の日用品が広まっていきました。
その後、大阪は国内でも最大ともいえる錫製品の生産地となり、最盛期の昭和初期には300以上の職人が技術を磨いていたと言われています。第二次世界大戦の影響で、徴兵による職人の減少や材料の入手難などにも陥りますが、その技術は受け継がれ、昭和時代末期、ついに大阪浪華錫器は伝統工芸品として認定されました。
現在では日本全体の錫器のシェア約7割を占めており、酒器や花器、仏具など、錫の特性を活かした幅広い種類の製品が製造されています。