富山県の高岡市で制作されている伝統工芸品です。茶器や仏具、香炉などの小型のものから、梵鐘、そして大仏など大型の銅像まで、幅広い作品を制作しています。作業工程は、金属を溶かして型に流し込む鋳造作業と、出来上がった作品に装飾を行う加工作業に分業され、しなやかさのある様々な造形と柔らかな鋳肌が特徴的です。
高岡銅器の歴史
高岡銅器の始まりは江戸時代初めの頃です。1611年、加賀藩の藩主であった前田利長が、町の繁栄のための産業政策のひとつとして、7人の鋳物師を集め高岡の地に招き、鋳物工場を開設したことがきっかけでした。
当初は釜や鍋、鍬等、大衆向けの日用品を生産していましたが、江戸時代の中頃には浄土真宗の浸透や庶民の生活の向上によって、寺院以外の一般家庭にも仏具が置かれ、鋳物の需要は高まっていきました。それと共に技術の発展も遂げられ、明治時代以降には置物や茶道具などの生産も盛んになります。さらにそこに、明治維新によって職を失いかけていた、刀の装飾具や鎧を作る彫金師も加わり、高岡銅器は美術品としての作品の制作も開始しました。
彫金師達による繊細な装飾が加わった高岡銅器は、その後、ウィーンやパリなどヨーロッパで開かれた万国博覧会で高い評価を受け、世界的にその名を広めていきます。世界大戦中はアルミニウムによる飛行機部品の生産なども経て、1975年、国より伝統工芸品のひとつに認定されました。さらに2008年には高岡銅器協同組合が地域団体商標を受け、高岡市では現在でも高岡銅器の制作が続けられています。
高岡の大仏
高岡銅器で製造された大型の作品として名高いのが高岡大仏です。高岡市大佛寺にあり、阿弥陀如来像を表したものですが、全体の高さは15mを超えるものです。
江戸時代中期、ここに初めて作られた大仏は木造でしたが、火事によって何度か焼けてしまい、その後、もう焼けることのないようにとの願いから、約30年もの歳月をかけて高岡銅器の職人による鋳銅の大仏が完成しました。昭和56年には高岡市の指定有形文化財として認定されています。