和骨董大辞典

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偕楽園焼(かいらくえんやき)

偕楽園焼は御庭焼の1つとして知られています。

御庭焼とは、江戸時代に陶磁器に関心のある城主や藩主などが、窯を開いて焼かせたものです。陶工を招き、自分の趣向に合わせて陶磁器を作らせ、主に贈答品として扱われました。

 

 

 

偕楽園焼の歴史

 

 

偕楽園焼は現在の和歌山県、紀州徳川藩の藩主であった徳川治宝(はるとみ)が、別邸の庭園「偕楽園」に窯を築き、制作させたものです。治宝は在任中、学問を奨励し、歴代の藩主の中でも名君と呼ばれていますが、文化人という一面もありました。自身も茶道を極め、他にも音楽や書画など多能多芸であったと言われています。

 

そんな治宝が京都から永樂保全や仁阿弥道八などの陶工を招き、偕楽園焼を始めたのは江戸時代後期のことです。何人もの名工がここで作品を制作し、その作品は中国陶磁器である交趾(こうち)焼の写しや乾山写しなど種類も様々ですが、全体的に、粒子の細かい陶土に「寿」の字が描かれた寿字紋や、牡丹の花が装飾として多く用いられたようです。

また、作品には無銘のものもありますが「偕楽園製」と銘のある物や、治宝が自ら制作した物には葵紋が付いています。

 

 

偕楽園焼は短期間のうちに数回焼かれており、3回や6回など様々な説がありますが、明確でない部分が多くあります。また、製造期間は1827年頃から治宝の亡くなった1852年頃の約25年間であったと言われています。

 

 

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