和骨董大辞典

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六古窯(ろっこうよう)

日本六古窯または中世六古窯とも呼ばれる、日本で中世から栄え現在まで続いている6つの窯場のことです。愛知県の瀬戸常滑(とこなめ)、福井県の越前、滋賀県の信楽(しがらき)、兵庫県の丹波、岡山県の備前の6つで、その後中国などから入ってきた他国のものを真似たものでなく、生粋の日本生まれのやきものとされています。

これらは平安時代後期から安土桃山時代に築かれたものですが、やきものの始まりはそれよりも前に遡り、大きく分けて「須恵器(すえき)」「土師器(はじき)」「瓷器(しき)」の3つの系統に分けることが出来ます。

 

 

 

☆土師器(はじき)

やきものの始まりは「土器」ですが、土師器は弥生土器から進化し生産されたやきものです。埴輪もこの一種とされています。地面に穴を掘ってそこで焼成がされ、800~900℃という低めの温度で焼かれていたため陶土の焼き締めは弱いものでした。

見た目は赤褐色や橙色に焼き上がります。模様などのない素朴な見た目であることが多いとされていますが、地域によっては一部模様を表現しているものもあるようです。

 

 

☆須恵器(すえき)

土師器と同じく古墳時代~平安時代に作られていた炻器です。土師器が弥生土器から派生したのに対し、須恵器は朝鮮から高温焼成の技術と共に伝えられました。土師器は1000℃以下の低温で焼き上げられましたが、この須恵器は1100℃以上の高温で陶土を焼き締めて制作した為、それまでの土器や土師器よりも丈夫なやきものとなりました。窯は傾斜の地面に築く登り窯(窖窯:あながま)といわれる半地下の窯を用い、密閉空間で焼成されたやきものは青みがかった灰色の見た目となります。

現在は「須恵器」と呼ばれていますが、以前は「祝部土器(いわべどき)」とも呼ばれていたそうです。

 

 

☆瓷器(しき)

「しき」または「じき」とも言います。奈良時代・平安時代に作られていたとされる陶器で、土師器や須恵器と異なる点は、釉薬を用いて焼かれていたという点です。釉薬を使用することで土器のような素焼きのやきものよりも耐水性が増し、表面もなめらかに仕上がり、現在の愛知県名古屋市にあたる地域に築かれた猿投窯(さなげよう)等で製造された緑釉陶器や灰釉陶器をまとめて瓷器と言っていました。ちなみに、緑釉陶器や灰釉陶器はそれぞれ青瓷(あおし)と白瓷(しらし)とも呼ばれています。

 

 

 

 

以上の3種類はそれぞれ日本の各地域で作られていましたが、中でも朝鮮からわたってきた人々によって築かれ、須恵器を生産し始めた大阪府の陶邑窯(すえむらよう)、須恵器や灰釉陶器を生産した愛知県の猿投窯(さなげよう)、また愛知県渥美半島の渥美窯(あつみよう)には当時使用していたとみられる窯の跡が特に多く見られ、三大古窯(さんだいこよう)と呼ばれています。

 

 

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