和骨董大辞典

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原田直次郎(はらだなおじろう)

1863年に生まれ、ドイツに留学して完璧な西洋画を体得したといわれる洋画家です。作家森鴎外と深い親交があり、森鴎外の小説の主人公ともなりました。

 

 

 

原田直次郎の歴史

 

江戸時代の末、東京で生まれた原田は、幕府の蘭書翻訳機関で働き遣欧使節にも選ばれた父の影響で、幼い頃から海外留学を経験しました。7歳の時には大阪の学校、また10歳の時には東京外語学校でフランス語を学ぶなどする一方、11歳で洋画家に師事するなど、若い頃から西洋画に親しんでいたといいます。やがて20歳になると東京外語学校の卒業と共に、油彩画を日本に広めた高橋由一の主催する画塾で、1年あまりの間、油彩について学びました。

 

翌年からはドイツに在住した兄を頼ってミュンヘンに留学し、24歳までの3年間、ミュンヘン美術アカデミーで絵画を研究しています。このドイツでの滞在期間には、ドイツロマン主義やアカデミズムの作風による写実性、そして世紀末芸術の影響を受けた絵画をよく学び、留学2年目にして日本人画家の作品とは思えない程の完成度の肖像画『靴屋の親爺』を完成させました。

この3年間のドイツ留学で大きな実力を身に付けた原田は帰国後、西洋画に対し排他的な風潮の日本で西洋画を広めるべく活動しています。明治時代初期の美術団体や日本美術協会に属し、洋画敗訴論に抗議したり、東洋画会の機関誌に洋画についての文章を記載するなど、大胆な活動に対する批判もある中奮闘しました。

 

やがて自身の作品の制作活動も続ける中、26歳で東京の自宅に私塾「鐘美舘」を開いた原田は、その後約5年もの間、集まった門下生に無償で西洋画の画法を教授したといいます。洋画を出品できる展覧会が少なかった当時、批判を受けながらも自身の作品の出品を行っていた原田でしたが、私塾の閉校する1年前の30歳の時、病を発病し、以後は寝たきりのまま制作活動を行いました。

 

晩年まで絵筆を握り西洋画の普及に努め、やがて36歳の若さで息を引き取りましたが、近年その功績が認められ、2007年には代表作『騎龍観音』が重要文化財に指定されています。

 

 

 

世紀末芸術

 

19世紀末から20世紀の初頭にかけてヨーロッパを中心におこった風潮です。絵画作品においては幻想的でありながらどこか退廃的なもの、そして官能やエキゾチックさを感じさせるものが多く、代表的な作家にはフランスのアルフォンス・ミュシャやオーストリアのグスタフ・クリムトなど、現代の日本でも非常に人気の高い画家たちが多く挙げられます。

 

 

 

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