和骨董大辞典

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向井潤吉(むかいじゅんきち)

 

明治時代後半に生まれ、平成初期まで活躍した洋画家です。日本全国を旅しながら制作を行い、特に日本の民家を主題に選んだ作品を好んで描きました。

 

 

向井潤吉の歴史

 

 

1901年に京都市の宮大工の家に生まれた向井潤吉は、幼少期から職人たちに囲まれて育ち、13歳の時には自身も京都の美術工芸学校に進学しました。ここでは家で雇われた職人たちと同様に衝立や屏風の制作をできるようにするため日本画を学ぶ予定でしたが、入学から2年ほど経つと、周囲の反対を押し切って退学してしまうほど、向井潤吉は日本画よりも洋画に強い興味を持つようになっていました。

その後は家業を助けながら関西美術院にて学び直し、在学中に二科会で初入選を果たすと、翌年には上京を決心しています。東京では新聞配達などで生計を立てながら川端画学校へ通いましたが、1年経たないうちに帰郷しました。

 

 

やがて20代半ばになると向井潤吉はフランスへ渡り、アカデミー・ド・ラ・ショーミエールの学生となっています。同校には夜に通学し、そのほかの時間は美術館で西洋画作品の模写をして腕を磨いたり、それらから影響を受けて自身の作品の制作を行うなど、伝統的かつ著名な画家たちの作品の中で洋画を学んでいきました。

この時向井潤吉が制作した作品には15世紀から18世紀の様々な作品から学んだ影響がみられると言われていますが、同時に20世紀当時に活躍した画家達からの影響を受けたものもあり、オーストリアの画家、オスカー・ココシュカや、フォーヴィスム的な雰囲気を感じさせる作品も遺されています。こうして幅広い作品を目にした向井は29歳の時に日本に帰国し、二科会にヨーロッパ滞在中の作品を出品すると樗牛賞を受賞するなど、日本でもその才能を認められていきました。

その後は30代で中国方面への従軍や、従軍画家協会の会員として戦争画の制作にもあたり、第二次世界大戦中のミャンマーへも出兵しています。現地でもその記録を描くために奔走し、帰国後は美術推進隊の隊員となって各地で作品の制作を続けていました。こ

 

の戦時中に向井潤吉は、戦火によって日常生活が崩れていく中で、「日常」という中の大きな要素でもある民家に着目するようになったと言われています。これをきっかけに終戦後は特に好んで日本の民家をテーマとして取り上げ、晩年まで描き続け、1995年、93歳で息を引き取りました。

 

 

 

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