和骨董大辞典

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和田三造(わださんぞう)

1883年に生まれ、黒田清輝に学んだのち、色彩研究などの分野でも才能を発揮した洋画家、または版画家です。代表作には海上で船に乗る男たちを描いた、油彩画の『南風』があります。

 

 

 

和田三造の歴史

 

兵庫県で医者をしていた父のもとに四男として生まれた和田三造は、10代前半に一家で移住した福岡で、学生時代を過ごしました。そして16歳の時に画家を志すと、周囲の反対を受けながらも中学を退学して上京し、黒田清輝の家で書生として住み込みで学び始めます。そのほか白馬会研究所でも黒田に指導を受け、18歳の時に東京美術学校に入学しました。在学中には八丈島へ向かう最中、暴風雨に遭い、その経験がのちの代表作となる『南風』のモチーフになったといわれています。

やがて1904年に同校を卒業すると、翌年、白馬会の記念展に出品した作品が白馬会賞を受賞。さらに2年後の文展で『南風』が最高賞を受賞し、その名を広めています。この作品は当時のロマン派の流行の象徴的な作品の一つとしても捉えられたほか、翌年にも最高賞を受賞した和田三造の名声を高めるのにも大きな役割を果たしており、その結果和田は無鑑査で出品できる資格を得るまでとなりました。

 

20代半ばころには文部省の美術留学生としてヨーロッパをめぐり、洋画のほか工芸図案や東洋美術の研究も始めています。そして帰国後は自身の制作活動を行いながら文展や帝展の審査員を務め、並行して装飾や色彩の研究、また日本画の制作なども開始しました。これらの活動が高じて和田は1920年代に染色芸術研究所や日本染色工芸協会、さらに日本標準色協会を設立し、日本国内の色彩の標準化を図った著書『色彩総鑑』を発表しています。そのほか戦前、戦後には木版画の発表も行っており、幅広い分野でその才能を発揮しました。

40代後半からは東京美術学校の図案化教授として教壇に立つようになり、1953年には映画『地獄門』の色彩、衣装デザインの双方を担当しアカデミー賞の衣装デザイン賞、またカンヌ国際映画祭のパルム・ドール賞を受賞しています。

 

やがて1958年、75歳の時には文化功労者として選ばれ、84歳で亡くなる晩年まで、油彩や水墨画、さらに工芸作品などを制作していたと言われています。

 

 

 

ロマン派(ロマン主義)

 

18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで広まった、感受性や個性、想像力に重きを置いた思想のひとつです。ヨーロッパ諸国をはじめ日本も大きく影響を受け、各国で様々な作品が生まれましたがが、大まかにいえる共通点としては、それまで大きな思想のひとつとしてあった古典主義では重視されていなかった、感情や夢、苦悩、動揺などが作品の主題として扱われていることが挙げられます。

日本では明治中頃にヨーロッパの文学からこの影響をうけており、森鴎外の『舞姫』に始まり樋口一葉や島村藤村などがそれに続きました。絵画作品では大胆なタッチと筆遣いがその特徴となり、藤島武二らが代表的です。

 

 

 

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