和骨董大辞典

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大谷焼(おおたにやき)

徳島県の鳴門町で焼かれている炻器です。主に日用雑器を制作しており、鉄分の多い大谷の陶土を用いて焼きあがった作品は、ざらつきのある肌触りと金属のような光沢をかすかに放ちます。

 

その他に大きな特徴と言えるのは、大型の甕を制作する際の「寝ろくろ」と呼ばれる製法です。職人二人で行う作業で、一人が寝ころび大型のろくろを足で蹴り回し、もう一人が大甕の形を成形していくもので、仕上がった大甕は日本一の大きさと言われる登り窯で焼成します。

焼成した大甕は藍染に使用される藍甕とされることでも有名です。

 

 

 

大谷焼の歴史

 

 

大谷焼は江戸時代中頃、家族と共に四国八十八ヵ所巡りをしていた大分の焼物細工師、文右衛門が、大谷村でろくろ細工を披露したことが始まりと言われています。

当時焼物は非常に珍しかったため、興味を持った藩主蜂須賀治昭が、翌年に大谷村に藩の窯「藩窯」(はんよう)を築き、九州から職人を招きました。この時徳島県で初めて染付磁器が制作されますが、九州からの原材料の取り寄せ等が重荷となり経営はうまくいかず、約3年で藩窯は廃窯となりました。

 

その後この大谷焼の復興のために活躍したのは、藍商人の賀屋文五郎でした。

文五郎は旅行先で出会った信楽焼職人の忠蔵を大谷村に招き、弟の平治兵衛に忠蔵の技法を学ばせます。こうして平治兵衛はやきものの技法を習得し、大谷村に現在にも受け継がれる連房式登窯を築き上げました。

藩窯が廃止となってしまった際に問題ともなっていた原材料も、地元で採掘が可能となり、藍甕や大型の水甕の生産で大谷焼は名を広めていきます。

 

その後明治時代には西欧文化の台頭で大谷焼は一時衰退するものの、大甕に加え徳利や茶器などを制作し、時代の生活に沿った作品を生むことで技術を継承し、2003年には伝統工芸品として認定されました。

 

 

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