天草陶磁器は、熊本県の天草地方で製造される陶磁器です。品質の良い天草陶石を使って焼かれる磁器は美しい白が特徴的で、陶器は黒釉やナマコ釉を使った作品が制作されています。
中でも「高浜焼」「内田皿山焼」「丸尾焼」「水の平焼」は代表的な4つの産地として有名です。
☆内田皿山焼
内田皿山には窯跡が残っており、有田焼に続く、日本で2番目に古い窯だったのではないかと言われています。江戸初期~中期に開窯され、一度廃窯しましたが1970年に再興し、その後伝統工芸品に認定されています。白磁・青磁などの食器類をメインに作っています。
☆高浜焼
江戸中期、高浜の庄屋上田伝右衛門が陶工を招き、磁器の製造を始めました。非常に美しい白磁に彩色を施した染錦手はオランダとの貿易にも使用され、それ以外にも呉須の藍で彩られた作品が特徴とされています。欧風のデザイン皿なども発売しましたが、明治半ばに一時廃窯し、1965年に復興を果たしています。
☆丸尾焼
江戸後期に窯を築き、長きに渡り、甕を制作していました。天草陶石と共に赤土を使って食器類を製造しており、流し釉を用いた素朴な風合いの作品が特徴です。近代では甕以外にも花瓶や食器なども制作されています。
☆水の平焼
青黒い色合いを出すなまこ釉の元祖だと言われている窯です。江戸中期、当初は無釉磁器でしたが研究の末なまこ釉を開発し施釉磁器となり、作品は鉄釉となまこ釉を流しかけることで生まれる独特の模様が特徴的です。「水の平」という名称は地名が由来だとされています。
天草陶磁器の歴史
天草陶磁器の始まりは江戸時代初期頃だと言われています。各地で陶磁器を製造する窯が藩の御用窯となり、生産やその技術の伝承が保護されていた当時、天草は幕府の直轄地であったため藩の保護などはなく、村民が自分たちの生活の中で使用するために焼かれていました。
元々天草の海岸で採れる天草陶石は非常に優れており、初めは砥石として流通していましたが、その加工のしやすさや焼き上がりの透明感など、磁器の原料としての価値が知れると全国に広まっていきます。そして天草の島内でも陶磁器が焼かれはじめ、この天草陶磁器が誕生しました。
江戸時代末には上記で紹介した4つの窯を始めとして多くの窯が築かれ、その後徐々に数は減ったものの、現在でもそれぞれの個性を活かした作品の制作が続けられています。