大分県の日田市で制作されている陶器です。
始まりは1700年代前半、幕府の直轄領であった日田で生活雑器の不足を賄うため、黒木十兵衛という人物が福岡県の小石原焼の陶工柳瀬三右衛門を招き、小鹿田に登り窯を築いたのがきっかけでした。そのため小鹿田焼は、小石原焼の影響を強く受けた作風になっています。ろくろを回しながら装飾を施す、刷毛目や飛びかんな、あるいは流し掛けや打ち掛けなどの技法が見られるのがその証拠です。
また、小鹿田焼の生産地である小鹿田地区は、この小鹿田焼の製造に欠かせない制作工程の設備が、ほぼ開窯当時の状態に保たれており、中でも有名なのが『唐臼』です。これはししおどしに似た装置で、水が落ちる反動を利用して臼をつき陶土を整えるための設備で、「日本の音風景100選」に選ばれています。
十兵衛と三右衛門によって小鹿田焼の技術が確立され、その後大衆の為生産されていた小鹿田焼でしたが、転機が訪れたのは1930年代でした。
小鹿田の地に当時民芸運動を推進していた柳宗悦が訪れ、その窯と土地を絶賛したのです。これをきっかけに、地元でだけ知られていた小鹿田焼は徐々に名を広めていき、1995年には重要無形文化財として認められるまでとなりました。
現在でも小鹿田焼は長子相続で代々その伝統を繋いでおり、「個人の銘は入れず小鹿田焼の品質を保つ」という取り組みの下、制作が続けられています。