岡田三郎助(おかださぶろうすけ)
岡田三郎助は明治時代から昭和初期に活躍した洋画家です。作品は特に美しい女性像を描いたものが多く、68歳の時には文化勲章も受賞しました。
岡田三郎助の歴史
1869年、岡田三郎助は佐賀県の名家で生まれました。佐賀藩の石尾家というのがその生家にあたり、彼は幼少期に元佐賀藩の藩主の邸宅で百武兼行(ひゃくたけかねゆき)の油彩作品を見たことをきっかけに洋画に興味を持ったと言われています。その後18歳になると画家の曽山幸彦(そやまさちひこ)に師事し、その画塾に入門。次に画学専門学校・大幸館の堀江正章の下でも絵画を学び、洋風絵画を専攻して24歳の時に卒業しました。
卒業後はフランスで絵画を学んできた洋画家の黒田清輝、また久米桂一郎などと知り合い洋画団体の白馬会の設立に尽力し、自身も文部省留学生の1人としてフランスへ留学しています。フランスでは黒田も師事していた外光派の画家ラファエル・コランに絵を学び、帰国すると東京美術学校の教授に任命され、フランスで得た技術を後進の教育に活かしていきました。また同時に自身の制作活動も精力的に行い、この頃から独特の美しさを放つ女性像の作品を多く仕上げ、自身の画風を確立していきます。『婦人像(某婦人の肖像)』が東京勧業博覧会で1等を受賞したほか、各作品でいくつもの賞を受賞し、文展審査員や帝国芸術院の会員にも抜擢されました。
40代~50代にかけては本郷洋画研究所や装飾美術家協会などの美術関連団体の結成に携わり、日本の画壇へ洋画を広めるべく尽力しています。これらの功績から岡田三郎助は65歳の時に帝室技芸員に。そしてその3年後には文化勲章を受章しました。
岡田三郎助ゆかりの人々
■百武兼行(ひゃくたけかねゆき)
岡田三郎助と同じく佐賀出身の洋画家です。戦国武将を祖先に持ち、明治維新後は岩倉使節団の一員を務めた人物でした。使節団として赴いたものも含め、生涯のうちにアメリカ、イギリスのロンドン、フランスのパリ、イタリアのローマなど世界各地を訪れたこともあり、多くの『日本初』を実行しました。裸婦像の描写やフランスへの画学留学、日本人としてオックスフォード大学に在籍するなどがそれにあたりますが、有田焼など陶磁器の近代化に貢献したドイツ人、ゴットフリード・ワグネルを日本に招くなど日本文化の発展と改良に大きく影響しています。