和骨董大辞典

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岡鹿之助(おかしかのすけ)

 

明治後半から、昭和末期にかけて活躍した洋画家です。独特の点描画法を確立し、温かみのある作品を多く生み出しました。

 

 

岡鹿之助の歴史

 

 

 

岡鹿之助は東京で生まれ、歌舞伎作家や劇作家をしていた岡鬼太郎の息子として育ちました。その後14歳の頃から父の友人であった岡田三郎助にデッサンを学び、21歳で東京美術学校に進学しています。在学中も岡田三郎助教室で絵画を学び、1924年に同校を卒業しますが、まもなく岡田三郎助はフランスへと渡りました。

 

現地では藤田嗣治に師事し、その勧めもありサロン・デ・ザンデパンダンやサロン・ドートンヌなどの展覧会に積極的に出品を重ねています。そしてサロン・ドートンヌでは出品作の内の一点が入選作品となりましたが、ここで岡鹿之助は周囲の出品作との技法の差を思い知らされたと言われています。

これをきっかけに改めてキャンバスや絵具の性質について研究したほか、ジョルジュ・スーラやオディロン・ルドンなどの作品からも影響を受け、岡鹿之助独自の点描画と画風が確立されました。以降、帰国するまでの約15年間をフランスで過ごし、藤田嗣治、斎藤豊作などの日本人画家、そしてピエール・ボナール、モーリス・アスランなどとも親交を深めています。

 

1939年には日本に帰国すると間もなく岡は春陽会の会員となり、晩年まで同会の展覧会に出品を続けました。このほか現代日本美術展で最優秀賞や日本芸術院賞を受賞するなど、日本国内でもその名を高めていきます。また、並行して約10年おきの感覚で渡欧しており、各時代の演劇、流行などの影響を受けながら自身の制作活動にも活かしていきました。

 

56歳の時には初の個展の開催、画集の出版、その後も国際形象展へ頻繁に出品を重ねるなど、晩年までに数多くの作品を生み出しています。

やがて1978年、春に行われた春陽会に最後の出品を果たし、息を引き取りました。

 

 

 

ジョルジュ・スーラ

 

19世紀半ばから末期にかけて活躍したフランスの画家です。ジョルジュ・スーラは1859年にパリの裕福な家庭に生まれ、幼少期からデッサンのレッスンを受けていました。その後19歳になるとフランスの国立美術学校であるエコール・デ・ボザールに進学し、本格的に絵画について学び始めるものの、兵役に就くため約1年で同校を退学することとなっています。しかしスーラはこの在学中に、ドラクロワやコロー、ピサロらの作品を熱心に研究し、これが独自の色彩技法を確立するきっかけとなっていきました。

やがて24歳の時にサロンで1点のデッサンが入選。また同時期にポール・シニャックと出会ったことに影響され、ジョルジュ・スーラは色彩や光彩理論を本格的に研究し、代表作の『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を生み出します。この作品は1886年の印象派展に出品され、大きな注目を集めました。

 

以降もこの点描画法を駆使した作品のほか、生涯で400点近い作品を描き、32歳の若さで息を引き取っています。

 

 

 

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