和骨董大辞典

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島田章三(しまだしょうぞう)

 

昭和前期に生まれ、平成後期にかけて洋画家、または版画家として活躍しました。大学教授や美術館館長を務め後進の教育にも力を入れたほか、キュビスムの解釈を日本にも広めようと尽力しました。

 

 

島田章三の歴史

 

1933年に神奈川県で生まれた島田章三は、小学校に入学後体調を崩したこともあり、第二次世界大戦中でもあった1943年に小学校を休学し、一時期は長野県に疎開していました。この間、病で入院していた際に見た幻覚はのちの作品にも活かされていると言われています。そして1945年には神奈川に戻り、翌年に進学した大津国民学校高等科では洋画家の熊谷九寿や金沢重治などから絵画を学び始め、県内の絵画コンクールで次々と賞を受賞しました。

やがて画家を志すようになった島田章三は、高校卒業後に大学で絵を学ぶべく、洋画家の川村伸雄のアトリエで修業に励み、21歳の時に東京芸術大学の油画科に進学。在学中は学年ごとに久保守や牛島憲之、山口薫、伊藤廉の下で学び、3年生の頃には国画会展に出品した作品が初入選となったほか、学生でありながら個展の開催を成功させました。翌年には同学科を卒業し、専攻科に進むと早くも国画会展の会友となり、徐々にその名が日本画壇で知られていくこととなっています。

 

その後27歳で東京芸術大学の専攻科を卒業した島田章三は、中学校や高校で非常勤講師を務めるようになり、その傍らで学友の林敬三と共に横浜造形研究所を立ち上げ素描の指導なども始めています。1961年には国画会の会員となり、翌年、結婚。以降も愛知県の大学で非常勤講師として教壇に立ちながら制作活動も並行して行い、34歳の時には安井賞候補新人展にて安井賞を受賞しました。

 

1968年、島田章三は愛知県の研究員としてヨーロッパに渡る機会を得、約1年間、現地で多くの作品をみて周っています。パリを中心にスペインやイタリアなどを訪れ伝統的な西洋絵画を目にしますが、特に注目したのはピカソらを筆頭とする画家たちが描いたキュビスムの作品で、多角的な視点から見た対象を一枚のキャンバス上に表現した作品を、日本でも表現したい、という強い意志を持つきっかけとなりました。帰国後は愛知県立芸術大学の助教授となり、画家仲間たちと明日への具象展を開始。また各地の百貨店や美術館で個展の開催を行ったほか、国画会展での宮本三郎記念賞、日本芸術院賞の受賞を経験しています。各文化施設の館長や愛知県立芸術大学の学長など要職も歴任し、2004年、71歳の時には文化功労者に選ばれました。

 

晩年まで個展の開催や画集の出版などを積極的に行って活躍し、2016年、83歳で息を引き取っています。

 

 

 

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