和骨董大辞典

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工藤甲人(くどうこうじん)

 

大正時代中頃に生まれ、平成後期にかけて活躍した日本画家です。

自然と動植物、特に小動物や昆虫などを、岩絵具を用いて描いた作品が特徴的です。

 

 

工藤甲人の歴史

 

1915年に青森県の農家で生まれた工藤甲人は、幼い頃は詩人に憧れていたものの、10代中頃には画家に興味を持ち、19歳で上京しました。翌年から川端画学校の日本画家に通い始めると、同校では岡村葵園の指導を受けたほか、西洋美術に強い興味を持っていた友人の影響を受け、シュールレアリスムにも関心を寄せるようになります。その後、1939年には新美術人協会に出品した作品が推奨作品となり、この出品を機に工藤甲人は日本画家の福田豊四郎の研究会に所属し、福田からも絵を学んでいきました。

 

1940年からは一時、第二次世界大戦下の従軍で中国へ渡りますが、終戦前には日本に戻り、のちの数年間は故郷で農業に勤しんでいます。やがて師である福田豊四郎の声掛けで制作活動を再開すると、1950年の創造美術展への出品作品が入選。翌年には15世紀から16世紀にかけて活躍したオランダの画家、ヒエロニムス・ボスの独特な画風に影響されたとみられる作品を2点、新制作展に出品し新作家賞を獲得しました。日本画の美しさを持ちながらヒエロニムス・ボスの影響を受けた不可思議さや装飾性の入り混じった作風を確立した工藤甲人は、以降も40代半ばから後半にかけて、日本国際美術展や現代日本美術展、新制作春季展などで優秀な賞を次々と受賞していきます。

 

1971年からは東京芸術大学の教壇に立ち、イタリアの壁画調査団にも加わったほか、73歳の時には沖縄県立芸術大学の客員教授を務めるなど後進の指導にもあたりました。また制作活動も並行し、美術文化振興協会賞や芸術選奨文部大臣賞の受賞や個展の開催も行っています。そして2011年、95歳でこの世を去りました。

 

 

 

福田豊四郎(ふくだとよしろう)

 

工藤甲人を指導した、昭和後期に生まれた日本画家です。秋田県の出身で、高等学校卒業後に京都で日本画家の川端竜子や土田麦僊に絵を学び、絵画の専門学校に入学しました。卒業後は国画創作協会や青竜社などの美術団体に所属して活動を行い、やがて日本画の革新を目標として仲間たちと新美術人協会をはじめとした団体を結成していきます。

一時期は従軍画家として務めましたが、戦後、1948年には日本画家の上村松篁や山本丘人などと共に美術団体の創造美術協会を発足し、これが後に新制作協会と合併しました。一方で、30代中頃からは武蔵野美術大学で日本画の講師となり、後進の教育にも力を入れています。その後40代前半の頃から体調を崩し、1970年、70歳で息を引き取りました。

 

 

 

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