七宝焼きや漆工芸品と同じく、陶芸品も明治時代に欧米に多く輸出されたものの一種です。
16世紀から中国の美しい陶磁器に魅かれていた西洋では、陶磁器への関心が高く、万博に日本が出品した東洋的なモチーフの作品もすぐに人気を得ました。
また、日本の写実的でありながら豪華なデザインやその優れた技術は西洋にも大きく影響を与え、日本国内でも各産地で美術工芸品としての陶芸品の制作が進んでいきました。
輸出向け陶磁器の最盛期であった明治時代には多くの陶工が生まれましたが、ここではその中から数名をご紹介します。
☆宮川香山(みやがわこうざん):
明治時代を代表する陶芸家です。父も京都で陶芸家として活動しており、香山は家を継いだ後色絵陶器や磁器などを制作しました。
当初は薩摩焼を研究し完成した、金を贅沢に使用する独自の作品「真葛焼」を輸出しましたが、制作費が多額になるため「高浮彫」と呼ばれる新たな技法を発明します。これによって薩摩焼の、金で表面を盛り上げる技法の代わりに、精密な彫刻を彫り込むことで様々なモチーフを写実的かつ立体的に表現することに成功しました。
1896年には帝室技芸員に任命され、代表作に、水盤の縁に非常に精密に表現された渡蟹が足をかけたデザインの『高浮彫渡蟹水盤』、また美しい牡丹柄の水差しに丸まった猫が乗った蓋の付いた『高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指』などがあります。
☆藪明山(やぶめいざん):
画家、藪長水の下に生まれ、大阪で活躍した陶芸家です。薩摩焼の制作を中心に行い、自身で色絵陶器の工房を開くと繊細な風景画や、手抜きのない密度の高い装飾を特徴とした作品を生み出しました。明山の工房の作品は欧米人の間では高級ブランドとして人気を博し、「明山焼」「明山薩摩」などと呼ばれながら国内外の博覧会で多くの賞を受賞していきます。
緻密に描かれた群れをなした蝶が飛び交う『蝶図皿』や、豪奢な牡丹図の中に富士・藤・孔雀が描かれた『富士・藤・孔雀図大花瓶』など色彩鮮やかな作風です。
☆錦光山宗兵衛(きんこうざんそうべえ):
明治期に活躍した陶芸家兼企業家です。錦光山家は江戸時代から続く京都粟田焼の名門の家系で、宗兵衛は7代目に当たりました。6代目である父から学んだ、繊細で上品な花鳥画が描かれた作品を特徴とし、21歳の時にはパリ万博で銀賞を受賞しています。
その後も、アール・ヌーヴォー調の作品を制作するなど、時代に合わせたデザインや技術の改良に力を注ぎ、その作品は大阪の藪明山と共に現在でも人気があります。
☆加藤友太郎(かとうゆうたろう):
東京を中心に活躍した陶芸家です。宮川香山と並んで明治初期の陶芸界をリードした陶芸家で、彼も瀬戸にある陶芸家の家に生まれました。窯業を学んだ後は陶工場「陶玉園」を創業して様々な研究を重ね、特に釉薬の下に絵付けを施す「釉下彩」技法の分野では赤・黄・紫などの開発に成功しています。この中で赤色は国内初の釉下における赤色顔料として、彼の雅号を用いた「陶寿紅」と名付けられ、最も有名なものとなりました。
代表作には『鯉魚図花瓶』や『釉下彩鳥柿大花瓶』などがあります。
この4名の他にも、粟田焼において「墨画濃淡焼付法」や「藍染付技法」を発明するなどして緑綬褒章を受章した伊藤陶山、錦光山宗兵衛の工場に勤め、独立した後も陶磁器について多くを研究した諏訪蘇山 (初代)などが明治期に活躍しました。この2名は宮川香山と共に帝室技芸員に任命されています。