和骨董大辞典

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東山魁夷(ひがしやまかいい)

 

明治後半に生まれ、平成中頃にかけて活躍した画家です。

日本はもちろん、ヨーロッパを含めた国内外で活躍しました。

 

 

東山魁夷の歴史

 

1908年に神奈川県の船具商の家に生まれた東山魁夷は、幼い頃に家族で兵庫県に転居し、地元の中学校に通いました。この在学中に絵に興味を持ち、画家になることを目指すようになったと言われています。そして18歳になると東京美術学校の日本画家に進学し、川合玉堂や結城素明などに日本画の指導を受け、1929年の帝展で初入選。続けて翌年も入選を果たし、以降は官展への出品を続けました。23才で東京美術学校を卒業すると、研究科に進み、間もなくドイツへ渡ることを意識し始めた東山魁夷は、語学を学び始めます。そして3年後、研究課程を修了するとドイツのベルリンへ渡り、翌年からベルリン大学の美術史部にてヨーロッパと日本の美術史について学びました。

 

1年間の留学ののち、1935年に帰国した東山魁夷は、翌年帝展には落選するものの、同年の新文展で入選。また1939年から1941年にかけての3年間は日本画院展で日本画院賞の第一席を毎年受賞し、その名を広めていきました。32歳の時には結婚し、その後中国への旅行なども経験しますが、第二次世界大戦中は召集に応じ、終戦後千葉県に転居しています。1946年の日展に入選、また翌年同店で特選に選ばれると、作品は風景画が中心となっていき、40代の頃には日本の芸術界でも存在感を見せていきました。

その後1959年には宮内庁からの壁画制作依頼を受け、完成後、50代半ば頃には約3か月に渡って北欧をまわる写生旅行に出向き、現地の風景に大きく影響を受けたと言われています。帰国後、1965年に日本芸術院の会員となり、60歳の時には皇居の大壁画を制作。そして翌年、毎日芸術院大賞を受賞しました。

 

その後も奈良県の唐招提寺の壁画制作や、60代の時にはドイツ、オーストリア、中国の北京、桂州などを旅したことで、水墨表現から青を主とした画風を確立するなど制作活動は積極的に行っていきます。また個展や展覧会も数多く開催し、国内では各地の美術館で行ったほか、パリ、ベルリン、ミュンヘン、ブレーメンなどドイツ国内の美術館で特に多く特別展を行いました。さらにこの間、1969年、61歳の時には文化勲章と文化功労者、1984年にプールルメリット学術芸術院会員、2年後には日中文化交流協会代表団団長に認められています。

 

 

晩年まで積極的に活動を行い、1999年、90歳で息を引き取りました。

 

 

 

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