昭和前期に生まれ、平成末期にかけて洋画家として活躍しました。非常に写実的な美人画を多く手がけたことで知られています。
森本草介の歴史
1937年に父の赴任先であった朝鮮で生まれました。6歳の時に日本に移り、一時は東京や岩手で生活しましたが、翌年には再び朝鮮に渡っています。それから終戦までは現地で生活し、帰国後は日本の小学校に転入。やがて14歳になると東京の中学・高校で学生生活を送りました。
高校卒業後は画家であった父の影響もあって自身も画家を目指す決心をし、阿佐ヶ谷の美術研究所で絵を学び始めます。そして21歳の時に東京芸術大学の絵画科に入学を果たすと、洋画家の伊藤廉に師事して学んだほか、在学中に制作した作品が安宅賞を受けるなど早くも才能を表していきました。卒業後は同校の美術学部助手となり、並行して行った自身の制作活動では、1964年の国画会に出品した作品が入選。さらに続けて翌年には国画賞を受賞し、翌年には国画会の会友に推薦されています。その後も国画会での活躍は続き、2年後となる1968年に最高賞のサントリー賞を受賞し、1969年にはついに会員となり日本画壇でその名声を高めました。
また同年、森本草介は学生時代の仲間たちと十騎会を設立し、晩年まで出品を続けたほか、1970年には昭和会展に作品を出品し、同会の優秀賞を受賞しています。やがて39歳の時にフランスに旅行して以降は、晩年までたびたび現地へ取材に訪れることとなり、国内では個展の開催や、画集の出版、また国際形象展、具象絵画ビエンナーレなど数々の展覧会に作品を出品していきました。
晩年は千葉県の自宅で過ごし、2015年、78歳で息を引き取っています。
ドミニク・アングル
森本草介が影響を受けたとされている、西洋画家の1人です。代表作には『グランド・オダリスク』や『トルコ風呂』などがあり、18世紀後半から19世紀半ばにかけて活躍しました。
1780年にフランス南西部の彫刻家の息子として生まれたドミニク・アングルは幼少期から絵画に親しみ、美術アカデミー卒業後は新古典主義の代表的画家であるジャック=ルイ・ダヴィッドに師事しています。この新古典主義とはギリシア芸術をはじめとする荘厳で古典的な芸術を模範とするもので、ドミニク・アングルはこれを師であるジャック=ルイ・ダヴィッドから受け継いでいきます。人物を描いた作品を多く制作しましたが、特に美しい裸婦を描いた作品は代表作として挙げられることが多く、筆致を感じさせない写実的な表現は、森本草介以外にも各国の巨匠たちが影響を受けました。