1908年に東京に生まれ、造形的でありながら穏やかな雰囲気のある、人体像を題材とした作品をよく描きました。
森芳雄の歴史
1900年代末に生まれた森は、東京で育ちました。幼少期に叔母の養子となりましたが、青年期までは実家で生活し、貿易商であった父の影響から、幼い頃より西洋美術に親しみを持っていたといいます。17歳の時には慶應義塾普通部に通学しながら洋画家の白瀧幾之助の指導を受け、卒業後は本郷絵画研究所で本格的にデッサンを学びました。その後は、洋画家の中山巍の弟子となって油彩画を学び、翌年協会展で入選、続いて二科展でも入選を果たし、同世代の画家らとフランスへ渡っています。
フランスでは渡仏した翌年にサロン・ドートンヌで入選したほか、ルーヴル美術館で目にしたルネサンス期の作品に感銘を受けるなどし、26歳の時に日本に帰国しました。帰国後はフランス滞在中に制作した作品を中心とする作品展を開催したほか、数年に渡り独立美術協会展に作品を出品し賞を受賞しています。35歳からは東宝映画撮影所の特殊映画部に約5年間務めましたが、この間も制作活動を休止することはなく、日本アンデパンダン展への出品を行いました。
1951年からは、森は武蔵野美術学校で後進の教育に尽力しています。しかし、退職するまでの約30年の間にも制作活動は継続し、美術協会の結成や、自身の画集の出版、退職後のものも含めて数回に渡る個展の開催など、1997年に亡くなる晩年まで、精力的に活動を行いました。
アンデパンダン展
もとはフランスのパリで開始された、アンデパンダン美術協会が主体となった展覧会です。アンデパンダン美術協会は1884年にポール・シニャックやジョルジュ・スーラなどの新印象派画家などによって設立されたもので、伝統にのっとった保守的な審査を続けていたフランスのサロンに反感を抱いたことをきっかけに、無鑑査、無褒賞、そして来場者による直積的な評価を問うことが可能な展覧会として開催されました。ルソーやゴーギャン、ゴッホ、ルドン、ムンクなどの日本でも有名な画家たちが出品したほか、フランスでは藤田嗣治や田中保などの日本人洋画家たちも出品経験があり、設立後は世界各国の芸術運動にも影響を与えています。
このパリのアンデパンダン展を理想として各国で同名の展覧会が開かれるようになり、日本では日本美術会が「日本・アンデパンダン展」として開催しています。パリ・アンデパンダン展と同じく無審査かつ出品は自由で、分野は絵画や彫刻から書、工芸、写真など幅広くあり、発足した1946年からこれまでにも多くの芸術家たちが参加してきました。