波佐見焼は長崎県の東彼杵(ひがしそのぎ)郡周辺で焼かれる陶磁器です。
透明感のある白磁に呉須の藍色で装飾されているのが特徴ですが、波佐見焼は「くらわんか碗」、「コンプラ瓶」、「ワレニッカ食器(給食用強化磁器食器)」の3種の製品が代表的です。
☆くらわんか碗
くらわんか碗は主に江戸時代に焼かれていました。当時の、「陶磁器は高級で庶民には手が出せないもの」という常識の中、庶民向けに安価に作られたこの陶器は、庶民の間で広く流通していきます。
粗めの地に陶器風の簡単な柄が絵付けされたもので、「くらわんか」という名称は、淀川沿いで大型船に商人の乗った小舟が近づき「餅くらわんか酒くらわんか」と囃しながら食べ物を売っていたことから名付けられたと言われています。
☆コンプラ瓶
18世紀末から明治大正に製造されたもので、長崎の出島からポルトガルやオランダを相手にした、醤油や酒の輸出用に使用されていました。コンプラ瓶は白磁で瓶型に製造され、注ぎ口の形は様々ですが安定感のある形状が共通しています。表には「日本の酒」や「日本の醤油」を意味するオランダ語が書かれており、フランス皇帝ルイ14世やロシアの作家トルストイも愛用していたと言われています。
「コンプラ」という名称は、当時日本で貿易の仲介をしていた「金富良商社」の名前や、仲介人を意味するポルトガル語「comprador」にちなんでいると考えられています。
☆ワレニッカ食器(給食用強化磁器食器)
1987年に開発されました。「アルミナ」という材質と陶石を用いて製造された磁器は、普通の磁器の3倍の強度があり、給食用食器として作られました。
当初は町内のみでしたが徐々に広まっていき、県外の学校や病院などにも普及していきました。強化磁器の先駆けとしても知られています。
波佐見焼の歴史
波佐見焼は、安土桃山時代末期、大村藩の藩主大村喜前が朝鮮の陶工李佑慶を招き、登り窯を築いたのが始まりだと言われています。開窯当初は施釉陶器を制作していたようですが、1602年に良質な磁器の原料が見つかったことをきっかけに磁器の製造が始まりました。
江戸時代には「くらわんか碗」の流通で生産量が日本一となり、その後明治大正期には「コンプラ瓶」、近年では「ワレニッカ食器」の開発など、時代ごとの生活に寄り添った磁器製品の生産を続けることで現代にまで技術を伝え、広く親しまれています。