和骨董大辞典

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浜口陽三(はまぐちようぞう)

 

明治末期に生まれ、平成半ばにかけて活躍した版画家です。

メゾチントという版画の技法を得意とし、その表現と技法の普及に関しては国内外でその名が知られています。

 

 

浜口陽三の歴史

 

1909年に和歌山県で生まれた浜口陽三は、父が醤油の醸造業を営んでいた関係で、幼少期に千葉県に移り、中学校入学までは千葉県で育ちました。中学校からは上京し、卒業後は19歳で東京美術学校の彫刻家に入学。しかし同校を2年で退学してしまうと、フランスへ渡っています。そしてこの渡仏が、浜口陽三が版画を始めるきっかけとなりました。

 

現地ではパリの美術学校、グラン・ショミエールに一時期通い、その他は多くの時間を自身の部屋での油彩画制作に励んだと言われています。また、当時同じくパリに滞在していた海老原喜之助、岡本太郎などの日本人画家たちと親睦を深めました。そしてパリに訪れて5年以上が経った時期に、浜口陽三はドライポイントという銅版画の制作を始め、これが版画家として活躍するきっかけとなっています。やがて第二次世界大戦の影響で約9年のフランス滞在を終え、30歳の時に帰国することとなると、戦時中は視察団の通訳として活躍し、終戦後からはより深く銅版画について学び始めました。

 

 

以降は版画作品の制作に熱心に取り組み、40代の頃には銀座で個展を開催するほどまでとなっています。1953年には再度フランスへ渡り、その後は現地で作品を制作しながら国内外の展覧会に出品。さらに1955年にはカラー・メゾチントの作品を生み出しました。それからは東京国際版画ビエンナーレでの東京国立近代美術館賞やサンパウロ・ビエンナーレでの日本人初となる版画大賞、スロヴェニアのリュブリャナ国際版画ビエンナーレでのグランプリなど、数々の賞を受賞し、世界的にその名を広めると共に、カラー・メゾチントという技法の素晴らしさを広めていきます。

 

60代になると一時期はブラジルで活動し、その後70代で活動の拠点をフランスからアメリカのサンフランシスコに移しています。1985年には日本で回顧展を成功させ、翌年、勲三等旭日中綬章を受章。約40年に渡る海外生活を送り、87歳で日本に帰国すると、日本橋に常設の美術館を開館しました。この美術館は浜口陽三の父がヤマサ醤油の10代目の社長であったことも起因し“ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション”との名前が付けられています。

 

そして以後の晩年は日本で過ごし、2000年、91歳で息を引き取りました。

 

 

 

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