和骨董大辞典

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片岡球子(かたおかたまこ)

 

明治末頃に生まれ、平成半ばにかけて活躍した日本画家です。周囲からの批判を受けた時期も長くありましたが、日本画において独特の作風を確立し、“日本三大女流画家”と呼ばれるまでになりました。

 

 

片岡球子の歴史

 

1905年に北海道で生まれた片岡球子は、道内の女学校を卒業後、18歳の時に上京して女子美術専門学校の日本画科に入学しました。長女であったため婚約者もおり、周囲からこの進学は嫁入り前の準備程度と思われていましたが、21歳で同校を卒業すると、片岡球子は婚約を破棄して東京で画家になる決心を固めています。その後生活のため横浜で小学校教師となり、並行して、学生の頃から師事していた日本画家・吉村忠夫、そして洋画家の富田温一郎に絵を学び、帝展への出品を続けました。度重なる落選ののち、25歳の時に院展に出品した作品が初入選となった片岡球子でしたが、3年後に再度院展で入選して以降はしばらく落選が続き、帝展での入賞経験がなかったこともあって“落選の神様”と呼ばれた時期もあります。

しかし、34歳の時に再度院展で作品が入選し、院友に推薦を受けると、その後は作品が評価されるようになっていきました。50歳で小学校教師を退職するまでは並行して制作活動を行っていますが、その間にも院展にて日本美術院賞や奨励賞、大観賞などをたびたび受賞。しかし自身の腕を磨くことは継続し、より豊かな表現を実現するため彫刻家の山本豊市に素描の教えを受けるなどもしました。

 

教職を退任後は母校でもある女子美術大学の日本画科で教壇に立つようになり、後進の指導にあたったほか、この頃から能や歌舞伎などの伝統芸能を主題とすることが増え、品や格式の高さ、雅な雰囲気といった日本の伝統を感じさせるものとはまた異なる、力強い独自の表現を作品で形作っていきました。

以降も文部大臣賞や日本芸術院賞恩賜賞など、各展で多くの賞を受賞し、日本美術院評議員、愛知県立芸術大学の日本画科主任教授など要職も歴任しています。晩年は個展の開催も行い、1989年、84歳の時に文化勲章を受賞しました。その後2008年、103歳で息を引き取っています。

 

 

 

日本三大女流画家

 

片岡球子、小倉遊亀、上村松園の3名の日本画家を指します。片岡球子が文化勲章を受章した時点で、女流画家の文化勲章受章者がこの3名であったことからこのように称されました。

上村松園(しょうえん)は明治初期、京都生まれで、1948年、73歳の時に女性で初めて文化勲章を受章しています。美人画を得意としており、代表作は『焔』や『序の舞』などが有名です。また小倉遊亀(ゆき)は明治半ばに滋賀県で生まれ、1980年、85歳の時に文化勲章を受賞しました。鮮やかな色遣いの静物画を得意とし、『O夫人坐像』や『小女』などが知られています。

 

 

 

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