和骨董大辞典

  • TOP
  • 和骨董大辞典

猪熊弦一郎(いのくまげんいちろう)

猪熊弦一郎は1902年に生まれ、上野駅中央改札口や慶應義塾大学の壁画、三越の包装紙など、日本国内でも代表的な場所や企業に、その作品を残しました。

 

 

 

猪熊弦一郎の歴史

 

香川県で生まれ育ち、幼少期から絵を好んだ猪熊は、19歳の時に上京し、本郷洋画研究所を経て東京美術学校西洋画科に入学しました。在学中には帝展で入選や特選を果たすなど制作活動は順調でしたが、自身の体調を崩し中退することとなります。やがて34歳の頃には現在にも続く美術家団体「新制作派協会」の創設メンバーとなっています。そして約2年後にフランスへ渡り、20世紀の代表的画家であるアンリ・マティスに師事しました。

 

その後、自身の作風を探求しながらも、鮮やかで強い原色の色遣いを得意としたマティスの影響を強くうけ、38歳の時に日本に帰国します。帰国後は従軍画家として中国やミャンマーを訪れたり、「小説新潮」の表紙絵の担当、上野駅の大壁画の作成など、国内の代表的な芸術家の一人として活躍しました。

50代の頃には、パリを目指した途中でニューヨークを活動の拠点に選び、以後病を患うまでの約20年間をニューヨークで過ごしています。この間に猪熊は多くの分野の芸術家と交流したと言われ、作風は抽象画を主としていきます。晩年は帰国し、冬をハワイで過ごしながら制作活動を行い、89歳で亡くなりました。

 

 

 

フォーヴィスム(野獣派)

 

20世紀の初めころにフランスで起こった絵画運動で、日本語訳すると「野獣派」を意味します。猪熊弦一郎の師事したアンリ・マティスもここに分類されます。名称の起源は1905年の展覧会で、画家たちが出品した作品に多くの原色が大胆に使われているのを見た批評家が、「~野獣たちに囲まれたドナテロだ!」(ドナテロ:145世紀に活躍したイタリア人彫刻家)と表現したことが始まりとされています。フォーヴィスムは批評家が「野獣」と表現したように、それまででは考えられない非常に激しい色彩感覚と、平面的な描写で作品が描かれるのが特徴で、人の感情的な部分を重視した表現でした。

 

代表的な画家にはアンリ・マティスのほかジョルジュ・ルオー、ジョルジュ・ブラックなどが挙げられ、日本でも梅原龍三郎や中村彝などが影響を受けています。

 

 

 

買取に関するお問い合わせ

ご相談やご質問など、まずはフリーダイヤルでお気軽にお電話くださいませ。
  • お電話でのお問い合わせはこちら tel:0120-424-030
  • メールでのお問い合わせ