和骨董大辞典

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白髪一雄(しらがかずお)

 

大正時代末期に生まれ、平成中頃にかけて活躍した芸術家です。抽象画を描く画家として知られていますが、その作画方法は筆やナイフだけではなく自らの体、特に足で絵具を伸ばしていく、という個性的なものでした。“フットペインティング”と呼ばれるこの方法で制作された作品は国内外で注目を集めました。

 

 

白髪一雄の歴史

 

1924年、兵庫県で呉服商を営む家に生まれた白髪一雄は、幼い頃から骨董品や書画に興味を持っており、中学校に入学すると絵画部に入部しました。これをきっかけに画家になることを目指し始め、上京して東京美術学校へ入学することを希望していましたが、両親は長男である一雄が家業以外の道に進むことを反対。また日本が太平洋戦争の戦禍で申告な物資不足であったこともあり、白髪一雄は18歳の時に、実家から通学することのできた京都市立絵画専門学校の日本画科へ進学しています。ですが在籍中、日本画に本腰を入れることができず、同校の卒業後は洋画の制作に力を入れていきました。

 

その後大阪の市立美術研究所で洋画家の伊藤継郎について修練を重ね、制作した作品を新制作派協会展に出品していきます。この時から具象画を制作していた白髪一雄は徐々に前衛美術に惹かれていき、28歳の時には新制作派協会の同志たちと“0(ゼロ)から芸術を創造する”ことを理念とした「0会」を創設。以降、ペインティングナイフなど筆以外のものや、手や足など自身の体を使って制作した作品を生み出していきました。

 

1955年には0会と同じく前衛美術団体として活動していた具象美術協会の誘いを受け、同会と活動を共にするようになっていきます。大型作品を野外に展示する展覧会や具体美術展に参加し、1トンの泥の中や舞台の上で激しく動くパフォーマンスを行ったほか、足で制作する具象絵画の制作も継続。白髪一雄が33歳の時に来日したフランスの美術評論家ミシェル・タピエによって、それらの作品が評価されたことは白髪一雄にとって非常に大きな転機ともなり、以後国外にも活躍の場を広めました。30代の頃にはイタリアのプレミオ・リソーネ国際展の買上賞の受賞、またフランスのパリ、続けてドイツ、イタリアなどヨーロッパ各地での個展の開催を成功させ、日本でも日本国際美術展で優秀賞を受賞。その後も板などの素材を加え、足で描く“アクション・ペインティング”を行っています。

40代の頃には比叡山で得度し、この影響から以降の作風には宗教性も含まれていきました。75歳の時には地域文化功労者としても表彰され、2008年、83歳で息を引き取っています。

 

 

 

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