和骨董大辞典

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矢橋六郎(やばしろくろう)

1905年に岐阜県に生まれ、具象画家、またはモザイク画家として日本国内の主要な駅やビルにいくつもの作品を残しています。

 

 

 

矢口六郎の歴史

 

岐阜県に生まれた矢橋の生家は大理石商店を営んでおり、石材の加工と自社で採掘する大理石の販売を中心とした、県内でも有数の財産家でした。裕福な環境に育った矢橋は、20歳の時に東京美術学校の西洋学科に進学し、同じく具象画家となった山口薫らと交友を深めます。5年後に同校を卒業すると、学友たちと共にヨーロッパへ渡り、滞在中は近代画家のシャガールやキスリング、ユトリロなどの独創的な作品から強く刺激を受けました。

約3年間の滞在を経た帰国後、矢橋はヨーロッパで受けた影響を活かし自身の創作活動に打ち込み、また山口薫や村井正誠らと「新時代洋画展」や「自由美術協会」、「モダンアート協会」など近代美術団体を創設しました。帰国後からのこの10数年間は、脱退や参加を繰り返しながら自身の作品の制作を続けています。

 

やがて45歳の時、父が亡くなったのをきっかけに故郷に戻り、矢橋は兄と共に実家の大理石商店の経営を手伝うようになりました。家業の一端を担う傍ら油彩画も続けましたが、これをきっかけに幼い頃から触れてきた大理石の魅力を改めて見出し、以後は大理石を使用したモザイク壁画を多く制作しています。こうして日本の近代画家、そして大理石モザイク壁画の代表的人物となっていった矢橋は、その後武蔵野美術大学や東京芸術大学の講師を歴任しながら、名古屋駅や新大阪駅、新東京ビルなど国内の主要箇所にモザイク壁画の作品を残しました。その後矢橋は64歳で岐阜県教育委員長を務めたのち、晩年にはステンドグラスの制作も手掛け、83歳の時に故郷で息を引き取っています。

 

 

 

マルク・シャガール(Marc Chagall)

 

1887年に生まれたフランスの画家です。出身はロシアで、20歳の時からロシアで美術学校に通い始めました。その後23歳からはパリとロシアを行き来するようになりますが、この間にシャガールはベラという女性と結婚し、また、当時流行していたキュビスムにも触れ、影響を受けました。以降、制作する作品には愛をテーマにした作品が多く見られるようになり、そのことからシャガールは『愛の画家』とも呼ばれています。

 

その後、第二次世界大戦中にはアメリカに亡命しますが、1944年にアメリカで妻ベラを亡くし、60代の頃からはフランス国籍を得てパリに永住しました。65歳の時にはヴァランティーヌという女性と再婚し、この頃からシャガールは絵画のほかに彫刻の制作も行っています。以降も熱心な制作活動に励み、フランス国家に『聖書のメッセージ』などの連作を贈り、自身が86歳の時にはフランスのニースに美術館が開館されました。

 

 

 

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