北海道の函館で焼かれていた陶磁器です。北海道ではアイヌの土器が焼かれて以来長い間、陶磁器類は本州からの輸入ものが流通していました。この函館焼は北海道で初めて生産された陶磁器だといわれており、産業開発のために奉行所が主体となって開発されたやきものです。
箱館焼の歴史
函館焼の開発は江戸時代後期、江戸で焼物をしていた石原寿三郎が蝦夷地駐在を命じられ、陶磁器の生産を計画したところから始まります。寿三郎は製陶技術について各地で調査を重ね、自身も江戸で今戸焼の技術を習得して函館に持ち帰ります。それに加えて、函館焼の開発をすべく瀬戸から申し出た2名の陶工、為次と岩次の大きな尽力もあり、函館焼が完成しました。
その後岩次によって函館市に築かれた窯では、市内ではあるものの窯まで運ぶには船や馬が必要となる離れた場所の陶土、さらに装飾には新潟経由で岩次の地元から運ばれた、呉須や釉薬が用いられたと言われています。制作された商品は生活雑器が中心でしたが、絵付けされた柄にアイヌや外国人、または函館の風景など蝦夷地独特のものが多いという点が大きな特徴でした。この絵付けは白い磁器に描かれたため絵柄も栄え、北前船によって多くの土地に運ばれたようです。
しかし、北海道特有の寒さが窯に与える影響や生産工程の手間、さらには材料のほとんどを遠くから運ばざるを得なかった状況などにより赤字が続き、1862年頃には箱館焼は廃窯になったとされています。
残念ながらその後も復興されることのなかった箱館焼は、現存する作品は国内に100点ほどだと言われており、めったに見られない「幻の窯」として知られています。