大正元年に生まれ、平成半ばにかけて活躍した彫刻家です。
キリスト教を信仰し、その聖書の一場面を主題とした作品が多くみられます。
舟越保武の歴史
1912年に岩手県に生まれた舟越保武は、敬虔なカトリック教徒の父のもとで育ちました。地元の中学校に在学中に、彫刻家の高村光太郎が訳した『ロダンの言葉』を読んだことをきっかけに彫刻家を目指すようになり、やがて20歳で上京し東京美術学校の師範科に挑戦しています。2年連続で受験するものの、残念ながら師範科への合格は叶わず、しかしその翌年、1934年に同校の彫刻科に進学することとなりました。
学生時代は同級生に、のちに彫刻家となる佐藤忠良や井手則雄、山本恪二などがおり、その中で舟越保武は1937年の国画会展への出品作で褒状を受け、才能を表していきます。卒業後は、新制作派協会の彫刻部の設立に参加し、以降は会員として同会の展覧会に出品したほか、30代半ばの頃には麻生三郎と、船越保武が同時期に同じ中学校に在籍していたという縁のある松本竣介と共に、銀座の画廊にて三人展を開催。また幼い頃からの影響もあり、1950年には家族でカトリック教会の洗礼を受けました。
以降も積極的に各展への出品を行っていき、50歳の時には『長崎26殉教者記念像』で高村光太郎賞を受賞しています。その後は東京藝術大学で教壇に立ち、後進の指導にあたりながら、中原悌二郎賞、芸術選奨文部大臣賞などを獲得。この間には北海道内に佐藤忠良や本郷新、柳原義達と1体ずつ、道内の四季を表現した裸婦像『道東の四季の像』を制作しており、そこで船越保武が制作した作品『春』は長谷川仁記念賞を受賞しました。70代手前の頃には東京藝術大学から多摩美術大学に移り、約2年間、同校で教授を務めています。その後自身が手掛けた画文集の出版で、日本エッセイストクラブ賞を受賞し、翌年には勲四等旭日小綬章を受章しました。
1987年には一時体調を崩して倒れ、リハビリを行いながら左手での素描を始めました。一方で彫刻作品の制作をやめたわけではなく、1989年に新制作展に出品したキリストの頭部のブロンズ像『ゴルゴダ』はその力強さから話題を呼び、現在でも船越保武の代表作のひとつとして知られています。以降も岩手や茨城の美術館で個展の開催を成功させたほか、佐藤忠良との二人展などを開催し、87歳の時には文化功労者として認められました。そして2002年、89歳で息を引き取っています。