和骨董大辞典

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草間彌生(くさまやよい)

 

昭和初期に生まれ、現在も世界的に活躍している女性芸術家です。

水玉模様のモチーフを活かした作品が非常に有名で、30代の頃には“前衛の女王”と称されたこともありました。

 

 

草間彌生の歴史

 

 

1929年に長野県にある家庭の末っ子として生まれた草間彌生は、幼少期から絵を描くことに強く興味を持っていました。裕福な家であったこともあり、身の回りにあった草花などを描いて遊ぶ一方で、統合失調症という精神病に悩まされる生活が続きます。この統合失調症は近年まで精神分裂病とも呼ばれており、原動や思考、感情がまとまらず、たびたび幻聴や幻覚に苛まれる病です。そのほかにも草間彌生は、強迫神経症や不安神経症との診断を受けたとされていますが、本人にとって絵を描くこと、特に水玉模様を描いていくことが自信を守るイメージへと繋がり、病気の症状を落ち着かせる有効な手段の一つとなっていきました。

その後、16歳の時に全信州美術展覧会に作品を出品し、本業の画家達もいる中で入選すると、これをきっかけに高校卒業後は京都の美術工芸学校へ進学。在学中は多くの技法のほか、特に日本画を中心に学んでいます。しかし卒業後は、日本の閉鎖的な画壇に落胆したため日本画を描き続けることはせず、数年間は実家で制作活動に励むようになりました。やがて20代前半の頃に地元で開いた個展では、作品の購入者や東京の百貨店を紹介するという者、また当時から有名だった美術評論家の瀧口修造などから寄稿文を寄せられるなどして話題を集めています。1954年からは約2年の間に、東京の百貨店や画廊にて4回の個展を開催。また瀧口修造は草間彌生にニューヨークで行われる国際水彩画ビエンナーレを紹介し、海外進出の第一歩を支援しました。

 

こうして20代後半、1957年にアメリカへ渡った草間彌生はニューヨークを活動の中心とし、日本とは異なる表現の舞台で現地の芸術家たちにも刺激を受け、自身の作品表現に熱中していきます。創り上げた作品やパフォーマンスはどれも独創的かつ過激なものも多く、中でも「ハプニング」と言われるパフォーマンスは、全裸の人々に直接水玉模様を描き、ヌードやセックスをテーマにした作品として非常にインパクトのあるものとなり、さらにこれをニューヨークの路上などで行ったため、アメリカのみならず日本も含めた人々の注目を集めました。

多くの非難もあったものの作品制作は絶えず行い、“前衛の女王”といわれるようになると、作品表現の幅はより広がっていきます。1968年には主演・監督を自身で務めた映画作品がベルギー国際短編映画祭をはじめとした複数の映画祭で入賞、または銀賞を獲得。また40代中頃には日本に帰国し、その後小説を出版して新人文学賞を受賞しています。1989年にはニューヨークで鏡や光の効果をつかった展示を行ったことで再度注目を浴び、2009年には文化功労者、そして2016年に文化勲章を受章しました。

 

現在でも国内外の大手ブランドや雑誌などとコラボレーションし、制作品の幅をより広めています。

 

 

 

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