和骨董大辞典

  • TOP
  • 和骨董大辞典

荻須高徳(おぎすたかのり)

 

明治34年に生まれ、昭和末期にかけて活躍しました。半世紀以上の期間をフランスで過ごし、パリの風景などを好んで描きました。

 

 

 

荻須高徳の歴史

 

 

愛知県で地主を務める家に生まれた荻須高徳は、中学校を卒業すると20歳で上京し、川端画学校に入りました。ここでは藤島武二に絵画を学び、東京芸術大学の西洋画科に入学。そして卒業後まもなく、フランスから一時帰国していた洋画家の佐伯祐三と出会い、これをきっかけにフランスへ渡りました。

 

現地では当初佐伯祐三のもとで制作を行い、その影響を強く受けた作品をよく描いています。渡欧してから写生旅行なども共にしましたが、佐伯はフランスへ渡った翌年に他界し、以降は佐伯も影響を受けたモーリス・ド・ヴラマンクやモーリス・ユトリロなどをはじめとした画家らの作品を学び、制作に打ち込みました。

そして1928年、荻須高徳はサロン・ドートンヌで初入選を得て、以降は同展に出品を続け、徐々にフランスで名を広めていきます。そのほかサロン・デ・ザルティスト・アンデパンダンへの出品も行い、サロン・ドートンヌでの初入選から6年後にはスイスで個展の開催に成功。また自身の画風も渡欧時当初よりも造形的で温かいタッチに変化し、30代半ばの頃にはサロン・ドートンヌの会員となりました。同年には制作作品がフランス政府やパリ市の買い上げとなってさらに注目が集まり、現地で日本人洋画家としての立場を確立していきます。

 

フランス、イタリアなどでも個展を開催し、積極的に活動していた荻須でしたが、第二次世界大戦が開戦したことで1940年には日本へ一時帰国しています。ヨーロッパで磨いてきた画風は国内でも受け入れられ、新制作派協会展にて渡欧中の作品を発表。日本の陸軍の嘱託任務でインドシナに派遣されるなどして、帰国してから約8年後に、再びフランスへ渡りました。この渡欧は戦後の日本人画家の中では初めて入国が許可されたもので、荻須は現地ですぐに制作活動を再開し、各地で行う個展などで積極的に作品を発表していきます。

やがて55歳の時にはレジオン・ド・ヌール勲章を受章し、1982年にはフランスの造幣局で荻須高徳のメダルが発行され、フランスの人々にその名と作品が広く知れ渡ることとなりました。日本とフランスの芸術交流にも尽力し、勲三等旭日中綬章や文化功労者として認められるなど、両国でその才能が認められています。この間一時的に日本に帰国するものの、晩年はフランスのアトリエで制作を行い、1986年、文化勲章の受賞が決定した翌週に、84歳でこの世を去りました。

 

 

 

買取に関するお問い合わせ

ご相談やご質問など、まずはフリーダイヤルでお気軽にお電話くださいませ。
  • お電話でのお問い合わせはこちら tel:0120-424-030
  • メールでのお問い合わせ