和骨董大辞典

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薩摩焼(さつまやき)

鹿児島県で製造される陶磁器です。薩摩焼には種類や系統が多くありますが、大まかに磁器、黒薩摩、白薩摩の三種類に分けることが出来ます。

 

 

☆黒薩摩

「黒もん」とも呼ばれています。大衆向けの陶器として製造され、火山地帯である鹿児島特有の鉄分の多い陶土を用いるため、黒い焼き上がりとなります。

作品は徳利の一種の「カラカラ」や、焼酎の燗に使われる土瓶型をした「黒茶家」(くろじょか)が代表的ですが、高温で素地を焼き締めて制作するため日用雑器として様々なものが作られています。黒釉の他に褐釉、蕎麦釉などの釉薬も用いられます。

 

☆白薩摩

元々は苗代川焼と呼ばれ、後に薩摩焼の「白もん」と呼ばれるようになったと言われています。黒薩摩が地元の陶土を使った大衆向けのものであったのに対し、白薩摩は当初原料を朝鮮から取り寄せていた時期もあり、高級品とされていました。白い陶土で焼かれる素地に、釉薬を用いることで作り出される細かい貫入が特徴です。

また、その白地に緻密で絢爛な色絵付や金襴手を施した作品は、明治期に日本政府が公式参加するよりも早くパリの万国博覧会に出品され、「SATUMA」の名で西欧諸国に名を広め、当時だけでなく現代でも非常に高い評価を得ています。

 

 

 

 

薩摩焼の歴史

 

 

薩摩焼は安土桃山時代末期、薩摩藩の藩主島津義弘が朝鮮出兵から連れ帰った陶工の、朴平意や金海によって窯が築かれたのが始まりでした。彼らが薩摩の地で築いたそれぞれの窯の個性はそのまま確立し、磁器系の平佐焼、苗代川系、堅野系、龍門司系、西餅田系、の5つの流派が出来上がったと言われています。(現在では苗代川系、堅野系、龍門司系の3つしか残っていません。)

 

朝鮮の陶工によって技術が磨かれた薩摩焼に目を付けた薩摩藩は、江戸時代、薩摩焼のさらなる発展をねらい京都に職人を送り、金襴手や色絵付などの技法を学ばせました。そして出来上がった、白薩摩に豪華絢爛な装飾が施された作品は、1867年、パリ万博で非常に高い評価を得ます。

こうして急激に需要が高まった薩摩焼は、薩摩で焼いた素地を横浜で絵付けした『横浜薩摩』や、京焼とは別に京都で焼かれた『京薩摩』など海外輸出用の製品が大量に制作されました。

中でも京薩摩は本薩摩(薩摩で焼かれた薩摩焼)と比べ、より緻密で華やかな表現と評価され、名工が多く生み出されています。

 

薩摩焼は現代でも海外の美術館で特別展が開かれるなど、世界的に多くの人々に親しまれています。

 

 

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