和骨董大辞典

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軍票(軍用手票)

 

「軍票」とは「軍用手票」の略称で、戦時中に戦地での物資調達や支払などに用いられた、臨時紙幣の一種です。一見紙幣のような扱いですが性質的には手形に近いもので、各地域で銀行券が不足した際、銀行券を大量発行することによる貨幣価値下落や経済混乱を防ぐため、軍票が発行されました。

 

 

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軍票保持者は、最終的にその軍隊の政府によって支払いがされる決まりですが、国が敗戦し支払能力がなくなった場合など支払いがされないケースもありました。その際軍票は価値のないただの紙同然となり、一部地域ではそれが国際問題に発展したこともあります。イギリスを始めとして軍票は各国で用いられましたが、日本では西南戦争下に発行されたものをルーツに、1894年(明治27年)の日清戦争時に初めて発行されました。

 

 

日本の軍票のはじまり「承恵社札」・「西郷札」

 

日本で軍票のルーツとなったのは、西南戦争の時に薩摩軍が発行した「承恵社札」と「西郷札」と言われています。

 

1877年、西南戦争が勃発し、薩摩軍が鹿児島県庁に軍資金出資を求めました。そこで県庁は「通商金融会社承恵社」という金融会社を設立し、資金の融通を求めます。その後承恵社は5円・1円・半円の3種類の証券を発行して現金を借入れ、県庁に提出しました。その際発行された証書が「承恵社札」と呼ばれています。またそれでも軍資金不足に悩んだ薩摩軍が、支庁を軍務所として3年の有効期限と管内限りの通用という制限のもと発行した不換紙幣が「西郷札」と呼ばれています。この西郷札は、寒冷紗と呼ばれる硬くて薄い布を和紙で挟み蕨餅の粉で貼り、さらに漆墨で印刷が施された丈夫なものでしたが、後日支払いの保証や正規の政府機関発行の軍票の様な財務的裏付けがなかった為、住民からは疎まれたようです。

 

 

日本の軍票

 

西南戦争の後、1894年に日清戦争が始まると、日本政府により日清戦争軍票が発行されました。額面は10両・5両・1両・2銭5分の5種類の清の通貨単位が採用されたもので、これが日本政府が発行した最初の軍票です。しかし日清戦争は意外と早く終息したため、日清戦争軍票の発行総額は100万円余りに留まり、終戦後はほぼ全額回収されたことから現存するものは非常に希少です。

日清戦争軍票の後にも、中国大陸や朝鮮半島での使用が予想されたため中国語やハングルが表記された日露戦争軍票や、10円から10銭まで6種類発行された青島出兵軍票、またロシア語も表記されたシベリア出兵軍票や、甲号券、乙号券、丙号券、丁号券、戊号券、ろ号券等、多くの種類がある日華事変軍票などが発行されました。

 

 

 

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